日本明慧


大法を利用する常人の心を取り除こう

 文/大陸の大法弟子

 【明慧ネット2006年1月19日】修煉して数年経ちましたが、個人の目的を達成するために大法を利用するといった、常人の心を依然として持っていることに気付きました。今日、学習者の皆さんと自分の認識と体得を交流したいと思います。

 「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄まで染み込むようにして形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取りのぞくことはできず、圓満成就することはできないのである。いつもわたしが皆さんのために業を滅しているばかりで、皆さんが真に法にのっとって向上せず、人間の認識、人間の観念から抜け出さないようではいけないのだ。わたしと大法に対する皆さんの考え、認識、感謝のしかたはみな常人の考えの現れである」(『精進要旨・警告の言葉』)。この講法を勉強するたびに、「『常人として百年千年来、骨の髄まで染み込むようにして形成された人間の理』は何でしょうか?」といつも自分に聞きました。最近これについて新たな認識がありました。

 常人として、私達は、個人の目的のために生きています。集団や社会のためのように見える人がいますが、実はすべて自分のためで、この過程の中で利用できるすべての条件を利用して、自分の目標を実現します。自分の美貌を利用する人もいれば、自分の学識を利用する人もいます。自分の権力を利用する人もいれば、人間関係を利用する人もいます。社会、自然を利用する人もいれば、暴力団・マフィアを利用して人生の価値と理想を実現しようとし、更に命を捧げる人もいます。

 実はすべては世間から何かを得るため人類社会で事を行っています。これはすべて常人の次元の理です。常人には「靠山吃山、靠水吃水(山の者は山によって生活し、水辺の者は漁によって生活する。つまり身近のものを頼りに生計をたてる」という言葉があります。この言葉はまさに、常人が自然、社会を利用する真実の描写です。

 このような常人の心は修煉した後、修煉過程の中で、依然と出てくるのではないか?と反省してみると、自分には大法を利用し、師父の講法を一部分だけ取上げる考えがたまに出てくることに、気付きました。

 師父は大法を修煉する人は皆福の報いがあるとおっしゃったので、私も福の報いがあるべきです。師父は真に修煉する人が病気になるわけがないとおっしゃったので、私も「病気」の状態が現れるはずがないです。師父は「佛光普く照らせば」(『洪吟・融法』)とおっしゃったので、私の家族も利益を受けるべきです。師父は大法弟子を保護するとおっしゃったので、私も危険にさらされるはずがないです。このように考えるだけで、自分が大法弟子としての状態にあるかどうかを見ません。もし自分の考え、自分の認識に合わないと、内に向かって探し、自分の不足を見るのではなく、大法を疑い、大法に反発します。そのために修煉をやめ、さらに反対の方向へ走ってしまった人もいます。私は数人の邪に悟った人と接することがあり、彼らはこのように師父を攻撃し、大法を攻撃したのです。彼らは常人のように、大法を修煉するのは自分の私利のためであり、ただ大法から利益を得ようとし、自分のほしいところだけを選んで、大法を全面的に受け入れようとしないのです。

 「佛法」は人を済度し、超常的で、人類の理より高いものです。修煉者は低い次元の生命に利用されずに、無条件に法に同化するべきです。

 私達修煉者はどのようにこの問題に対応すべきでしょうか?大法の中に私達が修煉して得られる利益を言及したが、それは法が異なった次元に衆生に切り開いた状態だと、師父は教えてくださいました。弟子として、利益を得ようとし、安逸を求める観念をもって、求めるわけにはいきません。「求めずともおのずと得る」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)、そういう考えさえあってはならないのです。私達にあるものなら、自然と得ることができ、私達にないなら、求めても得ることができません。もし私達がこれらの利益を重く見るなら、常人の心が生じてきて、大法に求め、大法を利用して自分を実証する目的を達成することになります。

 法の勉強を通して、私は次のように悟りました。トラブルに遭い、心がつらい時、それは心性を高める機会がやって来たことで、とてもよいことで、喜ぶべきなのです。苦しみに耐え災難に見舞われるのは、業の借りを返済することです。座禅をして激しい痛みが走る時、業力を消滅しているということです。

 名、利、情が損なわれた時、自分にはまだどんな執着を持っているか、どうして名声と利益を争い、心を静めることができないのかと、内に向かって探すべきです。個人利益に対しては、多く失い少なく得るべきで、世の中の紛争に対して、入り込むのではなく、心身とも超脱すべきです。修煉者として師父が要求された三つのことに最善の力を尽くし、衆生を救い済度する神聖な使命を完成し、ほかに求めることは何もないのです。

 私はこのように問題を認識し、絶えず師父の法理に則って行なうと、乗り越えられない関や、克服できない魔難がなくなり、「法の中に溶け込む」(『精進要旨』)ことのすばらしさを真に体得することができました。旧勢力は、隙に乗じたくても出来ませんでした。

 それらの良くない考えは、私の根本的な執着をも暴露し、自分の「個人のため私のため」の本性を見せてくれました。同じくこのような執着を持っている学習者は、これを今後の戒めとし、できるだけ早く常人の観念と思惟の方式を変え、共に高まっていくことを期待しています。

 以上は個人の体得であり、適当でないところはご慈悲の指摘をお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/19/118951.html