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舒蘭市留置場:于樹金さんは残虐な拷問により肝臓に腹水 危篤状態(写真)

 文/吉林省法輪功学習者

 

                                             法輪功学習者・于樹金さん

 【明慧ネット2005年12月26日】吉林省永吉県の法輪功男性学習者・于樹金さん(56)は、2004年6月25日に舒蘭市の警官に不法に逮捕され、舒蘭市留置場に拘禁され、20日も経たないうちに、いろんな残虐な拷問により、肝硬変になり、肝臓に腹水がたまってしまった。そんな体の状況にもかかわらず、2004年12月、舒蘭市裁判所は于樹金さんに不法に12年の刑を下し、長春市鉄北刑務所に送り、引き続き迫害を加えた。2005年11月10日、長春市鉄北刑務所は責任を負いたくないため、息絶え絶えとなり、危篤状態に陥った于樹金さんを釈放した。

 

   いろんな残虐な拷問により、肝硬変になり、肝臓に腹水がたまってしまった于樹金さん

 于樹金さんは、吉林省永吉県口前鎮水電一局の社宅に居住。2004年6月25日、于樹金さんは舒蘭市で他の学習者の引っ越しの手伝いをしていたところ、舒蘭市公安局の2人の警官が突然、学習者の家に押し入り、家宅捜査し、法輪功の資料、法輪功の書籍、音声テープ、CDなどを見つけた。当時数人の法輪功学習者がおり、于樹金さんは外側の部屋の入り口におり、脱出できたが、危難の時に于樹金さんは他の学習者が先に脱出するよう助けた。ある学習者がすでにその2人の悪らつな警官に捕まえられたのを見て、于樹金さんは警官の手を離させた。この学習者はその隙に脱出できたが、于樹金さんは悪らつな警官に必死に捕まえられ、舒蘭市北城派出所に強制連行された。

 派出所に着いて、悪らつな警官はまず于樹金さんの携帯電話、鍵、90数元の現金などを没収した。そして殴ったり蹴ったりし、法輪功の資料の出所を白状するよう強いた。于樹金さんは「私は大法が良いことを実証して、罪がない。資料の出所などを言う必要はない」と言った。ある若い警官は一足で于樹金さんの胸を強く蹴った。于樹金さんは心臓に激痛が走った。于樹金さんが何も言わないため、悪らつな警官らは于樹金さんを舒蘭市留置場に送り不法に拘禁した。  

 6月26日に舒蘭市公安局法制科は、また于樹金さんを尋問に来た。「500冊の法輪功の書籍、2000枚の法輪功の宣伝ビラやテープ、CD、横断幕を見つけたので、きっと印刷機がある」と言い、于樹金さんに印刷機の場所を聞いた。悪らつな警官があらゆる手段を尽くしても、于樹金さんは何も言わなかった。  

 6月27日に于樹金さんは「法輪大法が良い!」と大声で叫んだため、悪らつな警官に当直室に連れこまれた。当直室に入る際、「報告」を言うように于樹金さんを強いたが、于樹金さんはそれを拒否し「報告」を言わなかった。すぐにも5人の警官(2人は名字が馬、もう1人は王、もう1人は許で、もう1人は名字不詳)が押し寄せてきて、叫びながら、于樹金さんの首をつねったり、頭を殴ったり、腕をねじったり、足で蹴ったりした。名字が「許」の警官はもっぱら、みぞおちめがけて殴ってきた。于樹金さんは五臓が逆まいているように感じた。警官は「すべての受刑者は当直室に入る時、『報告』を言わなければならない」と于樹金さんに言った。于樹金さんは依然として「報告」を言わないため、悪らつな警官に重さ9キロの足かせをつけられた。于樹金さんはずっと「法輪大法が良い!」と叫び続けた。悪らつな警官は「叫びたければ叫びなさい」と言うしかなかった。

 6月28日に法制科は再度不法に于樹金さんを尋問し、脅したりすかしたりしたが、于樹金さんは依然として協力せずに、大法の良さを説明し、法輪大法が良いことをしっかり覚えれば、必ず福があると言った。その後舒蘭市は于樹金さんの状況を吉林市610オフィスに報告した。6月29日に吉林市公安局五処は数人の警官を派遣して、その警官らは于樹金さんを留置場から、辺鄙で静かな小屋に連行した。

 小屋のテーブルにペットボトル(水を入れてあるペットボトルを凍らせたため、ペットボトルが氷の塊になっていた)、タオル、数本の辛子油の瓶が並んでいた。地面に木の板で作った名前の知らない刑具があった。人を刑具の中に入れて錠を下ろし、上は腰をはさみ、両足のところにくぼみがあり、ちょうど両足を固定した。刑具をつけられた後、両手と上半身しか外に出すことができない。この刑具をつけられた人は、みな吉林市公安局五処の悪らつ警官は残酷無情で、非人間的だと言った。

 小屋にいた公安局の課長みたいな人は、顔が薄黒く鬼のようだった。「早めに白状しろ、ここにいろんな刑具があるよ、耐えられると思っているのか?」と于樹金さんに言った。于樹金さんは「何も言わない。私は法輪功学習者で、真相を伝え、世の人々を救うのだ。誰でも真善忍に従って行ない、良い人になろうとすれば、道徳が向上し、人の心が善に向かい、これはまさに良い事ではないのか?どうして私達が間違いだと言うのか?」と言った。その人は「余計な話をするな、白状するかしないか?」と叫んだ。于樹金さんは「言わない!」と厳粛に言った。

 すると、悪らつな警官は于樹金さんを、その木の板で作った刑具に入れ、錠を下ろした。1人の警官は于樹金さんの右手を腰に回して背中で上へ持ち上げ、もう1人は于樹金さんの左手を肩に回して背中で下へおさえ、背中で手錠をかけようとした。すでに55歳になった于樹金さんは、腕が硬くて曲げることができなかった。2人の警官だけで于樹金さんの腕を曲げることができないので、もう2人の警官がきて、4人の警官が一緒に強く、于樹金さんの右手を上へ持ち上げ、左手を下へおさえた。于樹金さんの腕は折れたように、脳の骨まで音がし、肋骨も圧迫され、胸がえぐられたような痛みが走った。けっこう時間が経ち、4人の悪らつな警官は、やっと于樹金さんの両手を背中で手錠をはめた。

 その後、5、6人の警官は竹ぼうきの先の細い枝で、于樹金さんの耳の中や鼻に突き刺したり、すこし解けた氷の塊になったペットボトルで、于樹金さんの頭を殴ったりした。于樹金さんは鼻から血が止まらずに流れた。ペットボトルが少し解けたので、どんなに殴っても傷がつかない。于樹金さんは頭がしびれて、ブンブンとこだまがし、鼻も気持ちが悪くなった。さらに、警官は残忍にも于樹金さんの首を力強くつねり、2枚のタオルで口を締め付けて、鼻で呼吸させたが、鼻で息を吸う時に、辛子油を注いだ。

 当時于樹金さんの五臓六腑は逆巻いて、辛子油が胃に入ったかそれとも肺に入ったか知らないが、涙が止まらず流れ、呼吸も困難になり、目がくらんでしまった。大体30分ほど経って、悪らつな警官は于樹金さんがすでに息絶え絶えとなったのを見て、やっと手錠とタオルを外した。手錠を取る時更に苦痛なことで、于樹金さんの腕がすでに限界まで引っ張られ、まったく動かない状態なので、4人の警官がおさえたり上げたりして、やっと手錠を外すことができた。手錠を外す時も、警官は無理やりに引っ張るので、于樹金さんは痛みのあまり悲鳴をあげた。10数分休んだら再び先ほどと同じ拷問を始めた。もう人間の耐える限界を上回った。

 于樹金さんは精神が崩壊寸前になった。悪らつな警官は、于樹金さんが悲鳴をあげたにも関わらず、ただひたすらに、もっと多くの辛子油を注いだ。また30分経ったら、先と同じ手錠を外し、10数分休んだら、続けて苦しめ始めた。2回目手錠が外された後、于樹金さんはすでに息絶え絶えで、意識不明になり、全身に耐え難い苦痛が走っていた。このように、午後の1時から夜の6時まで、繰り返し苦しめてきた。4回目手錠を外すとき、悪らつな警官らも疲れてしまい、「于樹金、今日けっこう苦しみに耐えたね」と言い、去っていった。于樹金さんが歩けなくなったので、留置場の警官は于樹金さんが嵌められた9キロの足かせを取った。留置場に帰った後于樹金さんは呼吸が困難になり、胸と臓腑に激痛が走り、2本の腕も動かなくなり、一晩中痛みで寝られなかった。

 翌日(6月30日)の朝ごはんの後、警官はまた尋問に来て于樹金さんを他の小屋に連行した。小屋に昨日の拷問を加えた吉林市公安五処の悪らつな警官と舒蘭市公安局法制科の悪らつな警官がおり、机に同じく辛子油の瓶、凍っているペットボトルなどが並んでおり、その木の板で作った刑具も運んできた。悪らつな警官は、「白状するかしない」と叫び、于樹金さんをその刑具に入れようとした。于樹金さんは腕が腫れ上がり、触れるだけで痛くて我慢できないし、呼吸するだけで胸と臓腑に激痛が走る。悪らつな警官は于樹金さんの体が耐えられないと知りながら、于樹金さんを囲んで、于樹金さんの腕を上げたり押さえたりした。于樹金さんはすでにうなる力さえもなく、息が絶えたようになった。

 于樹金さんは舒蘭市留置場に拘禁され、20日もなっていない間に、胸や臓腑に激痛が走り、肝臓に腹水がたまってしまった。舒蘭市病院に送られ、肝硬変、肝臓に腹水があると診断され、また心臓病、胃病なども患い、軽く咳をするだけで、五臓六腑に激痛が走った。右手が1カ月半も麻痺していて、物を持つことさえできなかった。

 6カ月後の2004年12月に于樹金さんは舒蘭市裁判所で不法に12年の刑罰を下され、体が残虐な拷問によりひどく傷つけられたにもかかわらず、長春市鉄北刑務所に送られ引き続き迫害を受けた。長春市鉄北刑務所は于樹金さんが迫害により深刻な病状を抱えていることを知りながら、依然として于樹金さんを刑務所の病院に不法に1年近く拘禁した。

 この間に、家族は何度も鉄北刑務所に于樹金さんの釈放を求めに尋ねた。その後于樹金さんは危篤状態になり、刑務所側は責任を負いたくないため、2005年11月10日にやっと于樹金さんを重病のため、服役中の一時出所を許可した。釈放する前に、鉄北刑務所はまた于樹金さんの家族に7000元を要求したが、于樹金さんの家族に断られた。当時鉄北刑務所は于樹金さんがすでに息絶え絶えになったことを見て、家に帰る途中に死ぬのを恐れ、数人の刑務所の警官と刑務所病院の医者に、刑務所の車で于樹金さんを家に帰した。

 

               迫害により、全身がむくんでいる于樹金さん

 于樹金さんは釈放された時、すでに危篤状態に陥り、病状が悪化し、現在、肝硬変で、全身がむくみ、腹水がたまっている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/12/26/117326.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/12/30/68471.html