日本明慧

英語明慧の仕事に携わり、私はもっと調和できるようになった

文/西洋人大法弟子

 【明慧ネット2005年12月7日】まず今回の法会を準備してくれた大法弟子に感謝します。私たちはみな努力していて、とても忙しいので、今日集まることができてとても嬉しく思います。

 ここでみなさんと、明慧ネットについての理解と体得を分かち合いと思います。私は明慧の仕事に携わってすでに6年も経ち、最近私はまた新しくさらに重要な責任ある仕事を担当しました。この新しい仕事により、みんなと交流したい修煉の体得が増えました。この仕事は新しいので、私の多くの認識がまだ成熟していないのです。しかし、これは新しい視点を提供するものなので、他の大法弟子にとって、役に立つと思います。

 まずこの新しいチームで、みんなが善をもって接することに、とても感動しました。週に一回のチーム会議で、みんなは周到に考え、落ち着いて交流します。大法弟子のみんなが本当に先に他人のためを考えているのだと、身にしみて感じました。この明慧チームは、私が参加している他の多くのチームと大きく異なり、ここでただ「仕事をする」だけではなく、仕事をしている中に偉大で重い責任が含まれており、しかも多くの細かいところにも配慮しなければなりません。この環境に身を置き、最初の数週間、私は感動で涙があふれそうになりました。この環境が、どうして明慧ネットの仕事にとって大切なのか。この環境はどうしてこうなのか。この環境が必要とされるのは、私たちをもっと法に近づかせるためだと思います。私たちは仕事の中でその環境の純粋さを理解し、明慧ネットにその純粋さを表し、それを読む人々に受益させます。

 明慧ネットの仕事は他の真相を伝える仕事と違います。明慧ネットは法に則って確固とした役割を果たしています。これは、世の中でとても大切なものです。私はどうして、明慧ネットを正しい実体と言うのでしょうか? まず、ネットの主な内容は大法弟子からの文章です。大法弟子が書いた文章なので、エネルギーを持っています。私たちは世界各地の大法弟子の大切な正しい念を共に分かち合い、世界各地の大法弟子は明慧ネットを見て浄土を求め、同時に自分が書いた文章を送信して、この浄土に貢献します。大法弟子全員がこのネットを媒体として交流しています。最も大事なのは、全てを超越した慈悲な師父は宇宙を貫く永久不変の法理をもって、私たちを指導しているのです。それで、師父がおっしゃった、誰も明慧ネットを妨害することはできないという意味が分かり、明慧ネットの意義、神聖さ、厳粛さも理解しました。

 提出された文章にどうアプローチするのかに関して、私は個人の理解があります。私たちは毎日文章に書かれた真相を伝える言葉と向かい合っています。私たちの仕事は、文章をさらに流暢にし、完璧にすることだと考えているかもしれません。確かにそれは重要なことですが、私にとって最も重要なのは、文章の精華を変えないことを前提にして、常人社会の、文章作成に対する要求を満たすことです。この簡単な原理は、無私並びに文章作成者が悟った法理に対する尊敬を示します。

 最初、これは一目瞭然ではなかったのです。しかし、注意深く見ると、迫害を暴露する文章の異なった作成方法は、異なった理解を表したことに気付くでしょう。私がこれについて話すのは、ここ数年来私自身が真相を伝える文章を作成して体得したもの、並びに、数年来大法弟子が、いろいろな理由で私の書いた文章をそのまま使い、添削して使った経験によるものです。私は様々な苦痛の過程を経て、自我を放下し、より無私になりました。しかし、明慧ネットで「無私」は最初から要求されたものです。私たちの仕事の内在的な意義は他の項目とは異なっているからです。文章が発表されると、社会の各階層の人々に真相を伝え、事実を提供する役割を果たします。同時に各地の大法弟子を励まし、啓発する役割も果たしています。

 明慧ネットの仕事に携わり、私は他の状況下であまり経験できない、多くの修煉の問題にぶつかりました。この仕事に携わり、何が法に最も良いものなのかについて考えさせられます。掲載待ちの文章をチェックするのは、他人を考え、法を先に置く過程です。数篇の文章がいろいろな理由で発表できないことに、機嫌が悪くなる時がありました。私は、同修の理解が高くないために、明慧ネットに掲載されなかったと思い、とても残念に思いました。修煉に最も大事なのはその心なので、みなさんがもっと考えを広めるよう期待しています。しかし今、私のこの考えは私の不足を反映していることに気付きました。

 もし成熟していない文章を発表すると、その文章に誤って誘導され、過ちを犯してしまう大法弟子がいるかもしれません。または、明慧ネットは一人の大法弟子の文章を大目に見ることにより、成熟していない理性的でない考えを宣伝するといった良くない役割を果たしてしまいます。こう考えると、私は明慧ネットの目的に更なる認識を持ちました。自分が法を第一に置いていないことにも気付きました。文章が発表できない時、私は機嫌が悪くなりますが、これはまさに旧勢力に迎合したことになります。文章が発表できないのは、文章を書いた大法弟子が間違っているのではなく、大法弟子はこれからだんだん良くなり、成熟します。私達は旧勢力の考えを排斥するよう努力すべきで、できるだけ純粋な文章を選びます。こうして、明慧ネットはもっと効率よく、師父が要求された基準に到達するように、私達が、精進して、速く向上し、回り道をしないように、励ますことができます。

 明慧ネットの仕事にもっと参加しようと周りの大法弟子に言われました。私は明慧ネットの仕事をしているときにあまり深く理解できていませんが、この流れの一部になることをとても嬉しく感じます。文章をチェックするとき、もっと強い正念を持つよう自分に要求しています。こうして私の正念はもっと効果が良く、大法弟子が邪悪を取り除き、真相を伝える一部分になることができます。私は行なっていることを、他の項目の仕事に協力する舞台裏の仕事と見なしています。同時に私は多くの時間を「舞台裏の仕事」にかけたので、他の大法弟子は私が何を行っているかを知らず、そのため試練と圧力がやってきます。

 私はある大都市に住んでおり、その都市には西洋人の大法弟子が数人しかいません。たくさんのやるべきことがあり、手伝ってほしいと言われることが多いのです。私はいろいろな面において特技があり、大法が必要とするどの仕事にも、私はふさわしい人選です。明慧ネットの仕事の量が増え、周りの大法弟子が私の明慧ネットにおける責任を理解できず、私が明慧ネットの仕事に携わるのは、現地の環境にとって大きな損失だと考えているとき、私はすべてのことをバランスよく取ることができませんでした。

 これは私が解決すべき問題になりました。「自分の行なうべきことを行なっていますか?ずっと『舞台裏の仕事』を行なうことに耐えられますか?」と自分に聞きます。自己犠牲の精神が試練に直面しています。しかも同時に多くのことを行いながら、明慧ネットの仕事も遅れずに行なわなければなりません。多めの明慧ネットの仕事を行ないたくないときがあり、確かにバランスを取る必要がありますが、それは正しくないことだと気付きました。この過程を経て、私はすでに多くの常人の考えを取り除くことができました。

 このチームに加わって、いつも心が動じないようになりました。この状態は仕事にとってとても必要です。もしこの状態から離れると、邪魔が隙に乗じてやってきます。このような妨害を経験したことがあります。残った時間が少ないので、私は正念をもって心を動じさせないことをとても大事にしています。心性も伴って昇華しています。

 このすべてから見ると、明慧ネットに携わることは法に則って昇華する良い機会だと思います。明慧ネットのすべては、大法の修煉の原則を確固とし、大法弟子が法から離れないようにする役割を果たしています。明慧ネットの助けと意義により、私たち明慧ネットに携わる人々も、自分の不足を絶えず見つけその中で向上していくことができます。 (2005年明慧ネット関係者修煉心得交流文章より)

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2005/12/7/115988.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/12/18/68040p.html