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甘粛省天水市:5人の法輪功学習者が迫害により死亡

 【明慧ネット2006年1月24日】

 1、王生貴さんは拘禁され死亡

 法輪功の男性学習者・王生貴さん(35)は、甘粛省天水市玉泉観(観:道教の寺院)の道士で、1999年法輪功の修煉を始めた。2000年12月に玉泉観が窃盗に遭ったため、警察側は玉泉観を捜査した際、王さんが所有している1冊の『転法輪』を見つけた。そして王さんを不法に連行し3カ月以上拘禁した。「保証書」を書くように強いられたが、王さんの法輪大法を修煉する心は確固として動じなかった。2001年3月9日に故郷の岷県に送還され、岷県留置場に4カ月以上も拘留された。王さんは不法な拘禁に抗議するため、断食を始めた。断食期間中、留置場側はいかなる緊急手当ても施さなかった。40数日間断食した後、7月中旬に王さんは死亡した。留置場側は「王さんは緊急手当てを受けたが、助からなかった」と家族を騙した。

 2、黄立志さんは警官にひどく殴打され死亡

 法輪功の男性学習者・黄立志さん(53)は、甘粛省天水市甘谷県十里舗郷馬務寺村に住んでいた。北京に抗議に行った後、真相を知らない村人に公安局に通報され、2001年に警官に不法に連行され拘禁された。取り調べられ、法輪功の修煉を放棄するよう強要されたが、黄さんは法輪大法を放棄しなかった。そこで警官にひどく殴打され、体は青紫色の傷だらけで、息絶え絶えになった。警官は責任を負いたくないため、パトカーで直接に黄さんを家に送り届けた。2日後、傷があまりにもひどく、家で死亡した。 

 3、ハイレベルのエンジニア・陳桂蘭さんは拷問により死亡

 甘粛省天水市北道区の法輪功学習者・陳桂蘭さんは、核工業部213大隊のハイレベルのエンジニアだった。2002年9月、「ちょっと聞きたい話があるので、公安局に来てもらいたい。すぐ帰すから」と北道区公安支局政保係係長・馮継堂が派遣した警官に騙され、公安局に行った。公安局の表門を入ったとたんに連行され、パトカーに押し込まれて、直接甘粛省蘭州市女子労働教養所に送られた。わずか数日間で迫害により死亡した。10月1日、警官は「心筋梗塞で死亡したので、死体を受け取りに来るように」と家族に連絡した。陳さんの夫が同教養所へ受け取りに行った。陳さんの腿には広範囲に青紫色の瘤やうっ血があり、明らかに拷問により死亡したのである。

 4、天水市鉄道病院の定年退職者・劉文瑜さんは迫害により死亡

 法輪功の女性学習者・劉文瑜さん(53)は、1998年10月から法輪功の修煉を始めた。1999年12月末に北京に抗議に行き、現地の公安局に15日間拘留され、4000元の罰金を科された。2000年12月に「法輪大法は素晴らしい」と人々に知らせるために北京の天安門に行き、逮捕され天水市に護送された。その後、不法な2年の労働教養に処せられ、蘭州安寧区労働教養所に拘禁された。労働教養所で断食をして抗議を始めたところ、強引に管を差し込まれ食物を注入され(灌食)、胃から大出血した。いろんな手段による拷問に苦しめられた。釈放された後も、北道区の悪人らは絶えず家に押し入り嫌がらせをしてきた。2004年2月に冤罪が晴れることなくこの世を去った。

 5、劉志栄さんは甘粛省天水市第三刑務所で迫害により死亡

 甘粛省慶陽市西峰区団結小学校の教師・劉志栄さんは、2006年1月14日に天水市第三刑務所一監区で迫害により死亡した。刑務所側は家族に知らせることなく直接に火葬し、骨箱を劉さんの戸籍所在地の慶陽市の葬儀場に持って行き、「自殺した」とうそをついた。

 法輪功の男性学習者・劉志栄さん(42)は、99年12月4日に法輪功学習者・徐峰さんなどと北京に真相を伝えに行った。帰ってきた後、留置場に不法に70数日間拘禁された。そこで西峰区公安局国安科の警官・鄭翔にひどく殴打された。2000年4月10日、団結小学校で仕事をしているところを、悪らつな警官・鄭翔に派出所に行くように騙され、不法に戒毒所(麻薬中毒回復所)に入れられ迫害された。さらに、街を引き回され侮辱された。劉さんは不法な1年の労働教養に処せられ、4月25日に蘭州平安台第一労働教養所に連行され迫害を受け、2001年7月1日に釈放された。

 2002年4月28日、警官・鄭翔は、団結小学校に押し入り、持ってきた紙に署名するよう劉さんを強迫したが、拒否した。警官らは、キャンパスで教師と学生を前にして、劉さんを蹴ったり殴ったり踏んだり、警棒を振り回し、強引にパトカーに乗せた。続いて、劉さんの家で不法に家宅捜査を行い、引き出しなど家具の鍵を壊し、隅々までひっくり返し捜査した。4月30日午後、警官は劉さんを留置場に送った。劉さんは「私は犯罪者ではない」と言い、留置場の扉を掴まえて入ろうとせず、ひどく殴られ、強引に牢屋に引きずり込まれた。劉さんは抗議するため、断食をし、意識不明になった。劉さんは釈放されないばかりか、不法な3年の労働教養に処せられた。戒毒所(麻薬中毒回復所)に移された時、劉さんは再び入り口のドアを掴まえ、入らないので、ひどく殴られ、戒毒所の中へ強引に引きずり込まれた。

 2002年10月末、劉さんは不法に15年の刑を下され、2003年10月末に蘭州市大沙坪刑務所に移され、小屋に拘禁されるなど迫害を加えられた。12月25日に甘粛省定西刑務所に移され引き続き迫害を受けた。2005年末、劉さんは徐鋒さんなど7人の法輪功学習者と一緒に、天水市第3刑務所に移された。2006年正月10日昼ごろ、1監区の悪らつな警官に革靴のかかとで耳のつけ根を蹴られ、死亡した。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/24/119296.html