北京:林樹森さんは六ヶ月近く絶食し、不法な判決を下された
【明慧ネット2006年2月3日】北京市西城区の法輪功学習者・林樹森さんは2006年1月23日午前9時、西城区の裁判所で不法な判決を下された。目撃者によると、林さんは極度に衰弱し、顔色は青白く、非常に痩せ、鼻に管を入れられていた。赤い囚人服を着て、車椅子に乗り3階に運ばれ、不法な尋問を受けた。
情報によると、家族は一時の釈放を求めたが公安部門に拒否された。理由は林さんが危篤状態ではない! 2005年4月末、林さんは突然行方不明になり、家族は連絡が取れなくなった。黒竜江省の親族は遠くにいて大変心配し、いつも涙にくれていた。最近、いろいろな方面を尋ね、林さんが北京市西城区新街口派出所で再び連行されたことを知った。内部の人の話によると、林さんが明慧ネットで前進刑務所の迫害を暴露したことが、告訴された根拠の一つになったということである。
林樹森さん(男性、33歳)は、北京西城区に在住し、元黒竜江省慶安県の人である。1998年に北京針灸骨傷学院を卒業、大学卒業後北京で就職し、人々の林さんに対する評価はみな善良で、優秀な好青年であった。
林さんは1996年に法を得た。法輪大法を堅持したため、2000年8月に不法に連行され、北京市公安局一処に逮捕された後、北京市朝陽区の裁判所で三年の不法な判決を言い渡され、2001年1月17日、天津茶淀の前進刑務所(現在の名称:北京清河監区支局前進刑務所)に拘禁、迫害された。
2001年1月17日から31日まで、前進刑務所の悪党人員は林さんに眠ることを許さず、寒い日に運動場を100周走らせ、所謂「運動」、実は体罰を加えた。警官は林さんに法輪功を放棄させるため、各種の拷問で苦しめ、拘束服を着せ、死人ベッドに縛りつけ、電撃、拷問、強制洗脳など肉体的にも精神的にも苦しめた。
2001年2月1日、転向を拒否したため、当時、六分監区長の蔡分、劉伯全、徐警官などすべての当番人員は、まず林さんに手錠を嵌め、2本から11本の電気棒で同時に電撃し、総電圧は数十万ボルトにも達し、林さんは神経を傷つけられ、精神的にも崩壊した。刑務所では6ヶ月以上にわたって精神状態が正常ではなかった。当時、拘束服を着て、死人ベッドに縛りつけられていた。2002年7月中旬、12分区に転送され、ボールを縫う仕事をやらされ、2003年8月に釈放された。当時、前進刑務所の悪者の中で、一部の者は昇進し、更に「北京十大先進従業者」(或いは北京十大傑出青年などの称号を与えられる)に選ばれ、現在までいかなる法的な追及を受けていない。
2005年4月28日、警官は林さんの部屋で一冊の「九評」を発見し、その後、他の悪らつな警官の劉などが、強引に入室して捜査し、林さんを強制連行した。
2005年6月、林さんの家族は二回北京へ行き、林さんが前進刑務所で受けた迫害を手紙の方式で関連部門に大量に送って訴えた。調査員は刑務所を調査し、結論は「基本的には事実にあっている」であった。家族は林さんの体調について、七処に一時出所を要求したが、断られた。そのとき、林さんはすでに第二留置場で三カ月間絶食していたが、家族はぜんぜん知らなかった。
2005年11月25日、林さんはまた西城区留置場へ連行され、12月中旬、不法に告訴された後、12月16日から現在まで絶食し、北京病院で拘禁、迫害されている。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/3/120022.html)
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