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九台労働教養所:法輪功学習者・楊立冬さんは迫害により死亡(写真) 

 【明慧ネット2006年2月12日】吉林省松原市の法輪功学習者・楊立冬さんは、九台労働教養所の長期にわたる残酷な迫害を受け、出獄する時は息絶え絶えとなり、生活上自立ができなかった。2006年1月17日、冤罪を晴らせず亡くなった。死亡前彼は痩せこけて骨と皮になり、凄惨で見るに忍びなかった。 

 

                                 迫害を受けた楊立冬さん(2004年7月5日撮影)

 楊立冬さん(35歳男性)は、松原市団結街に居住し、99年4月より法輪大法の修煉を始めた。2000年5月、楊さんは、北京に陳情に行き、不法逮捕され地元に不法に連行された後、警官・張樹懐は他の受刑者に指図して4寸の太さで50センチの長さの硬いプラスチック管で楊さんを99回めった打ちした結果、楊さんは皮膚が裂け、傷口がぱっくりとあいた。その後、楊さんは九台市飲馬河労働教養所に移送され、1年の不法労働教養の判決を受けた。 楊さんは常に悪らつな警官にめった打ちされ、また座板、強制洗脳、強制超負荷の肉体労働を強いられた。そして半年も期限を超えて拘禁された。 

 2002年2月8日、楊さんは地元団結街派出所に、不法に家財を没収された後不法連行され、残酷な拷問に遭い、またもや不法に2年の労働教養判決を受けた。

 九台労働教養所の悪らつな警官・高克は、他の受刑者・張老七、朱永剛、王忠奎などに楊さんを苦しめるように指図した、彼らは時には楊さんの手足をベッドに縛りつけ、つるはしの取手、プラスチック管などで殴りつけ、時には7,8人の凶悪な連中が楊さんの口を麻布で覆い、板、鞭などの各種の刑具を使って殴りつけた。時には凶悪な連中は楊さんの頭を手で握って、木の板や歯ブラシを使って彼のあばら骨をこすった。彼らは楊さんに便所に行くことも禁止したため、衣服は常に小便でぬれ、時には楊さんを強制的に一夜中ずっと氷のように冷たいれんがの床板に座らせ、食事は蒸しパン一つしか与えず、野菜スープさえなかった。九台労働教養所に移送され半月も経たないうちに、楊さんは苦しめられて半身不随になり、手でものを持つこともできなくなった。

 楊さんは2002年5月に、毎月5日から10日の労働教養期間が増やされるのを拒絶したため、悪らつな警官・郭一平、張新に服を脱がされ、太い針金をねじって作った鞭でひどく打たれたため皮膚が裂け、傷口があき、血が飛び散り鮮血がだらだらと流れた。 

 2004年2月22日、楊さんは息絶え絶えになり、労働教養所は責任を負うのを恐れ、地元団結派出所に引き取るよう命令した。 

 楊さんは家に帰ってきて1年余りの間、ずっとベッドに寝たきりの状態で、生活も自立できず、毎日極度の苦痛の中で日々を送った。そんな情況にもかかわらず、団結派出所の悪らつな警官は頻りにやってきて騒ぎたてた。2005年5月1日、朝4時過ぎ、数人の悪らつな警官は必死に楊さんの家の表門を叩いた。中に押し入った彼らは本を差し出すよう強制したが、家族に厳しく責められた、悪らつな警官が楊さんの掛け布団を開けると、そこには痩せこけて骨と皮になった身長1.86センチの楊さんが渦巻き状に一塊になっていた。それを見た悪らつな警官らは、責任を負うのを恐れ、虚勢を張りこっそり逃げた。

 楊さんは、2006年1月17日に冤罪を晴らせずに亡くなった。 

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/12/120625.html