日本明慧


真に法を良く学ぶことで初めて法の中で修めることができる

 文/大法弟子

 【明慧ネット2006年2月14日】数年来、師父は何度も大法弟子に法を学ぶ重要性を強調されてきた。私は修煉する中で、修煉者が執着心を持ったままで、ひいては迫害の中で修めることは、つまり旧勢力の按配した道の中で修めているのではないかと感じた。そこで、もし私たち大法弟子が本当に良く法を学ぶことができれば、師父が何度も繰り返して法を学ぶ重要性を強調されなくて済み、もし大法弟子たちが真に法を良く学ぶことができれば、どんな人と事に直面しても、修煉者たちは師父の教えを思い出し、自分たちの不足を見つけ出し、正念を固めて誠心誠意に師父の教えどおりに行うことができると感じた。それはつまり常に法の中で修めている証ではないだろうか。

 法を良く学ぶことはすべての大法弟子が長期的に、弛まず必ず実行しなければならない必須条件である。今の中国国内と海外には邪悪の妨害と迫害の中で修めている修煉者がいて、いつも良くない事件が起きてから何倍もの時間と努力をかけて改善しなければならない。これは法をよく学べていない典型的な表現ではないだろうか。もちろん、長期にわたって常に法をよく学ぶこと自体は修煉者のすばらしい現れであり、そして毎日行う三つのことが良い結果を生み出すことができるのも、法を良く学んでいるかどうかの検査結果ではないか。長期にわたって、常人の観念をもったままで法を学ぶ同修が、法の内包を感じ取ることができない。一部の同修はあまりに忙しいため学法を怠り、また一部の同修は常人社会のものに執着して、常人社会の資格のために勉強をしている。このように、どうすればよく法を学べるかも、それ自体も基本的な課題となったのである。

 私が考えた伝統的な方法の一つとは、つまり法を暗記し、何度も繰り返して法を学び、心を修める中で必ず大法の膨大な内包を会得するようになり、そして法を学ぶときの集中力も知らないうちに高まる。実は、常人の中で功績のある人が自分の教科書と指導書などを良く覚えているのに、私たちが今学んでいるのは幾世も待っていた大法であるため、常人の勉強よりもっと心をこめて努力しないといけないのではないだろうか。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/2/14/120669.html