日本明慧
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【明慧ネット2006年2月19日】王明鐸さん(44)は、元の河北省滄州市建設銀行の職員である。王明鐸は、「真・善・忍」を守るように教える法輪功を修煉することで、2001年、不法に懲役3年の判決を受け、唐山冀東監獄に監禁された。王明鐸は、監獄に不法に監禁されている期間中、悪らつな警察の毒打により全身に傷だらけになった。しかし、悪らつな警察はこのような状況になった王明鐸に対して、毎日超負荷の労働をするように強迫したのである。 2005年6月20日、王明鐸は法輪功の真相を伝えたことで、開発区金島派出所に不法に拉致され、第一看守所に監禁された。悪らつな警察は、王明鐸の両手を後ろから背中で縛り、錠を付けた。また、脚にも錠を付けた後、野蛮的に王明鐸に対して灌食を行ったのである。悪党警察が、灌食に使った食物には塩がいっぱい入っていたのである。悪党警察は、王明鐸を毎日地面で寝るようにしたばかりでなく、犯人を唆して、王明鐸の腿に座るようにして、王明鐸の腿に怪我をさせたのである。王明鐸は、15日間の不法な拷問を受けた後、家族と友達の強烈な要求下で、釈放されることができたのである。 2005年11月23日の夜9時ごろ、大法弟子・王明鐸は家に帰る途中で、突然、悪らつな警察により不法に拉致されたのである。3、4人の悪らつな警察が、強制的に彼を警車に閉じ込め、南?派出所へ連れて行ったのである。二日後の11月25日、悪らつな警察・劉坎華は、法律手順と手続きを一切通過しない状況下で、王明鐸を強制的に唐山開平労働教養所へ送って、労働教養を受けるようにしたのである。王明鐸は、不法に拉致された日からずっと断食で、この不法な迫害に抗議したのである。 王明鐸に命まで危ない症状が現れたので、唐山教養所は責任を負うことを恐れて、2006年1月26日、王明鐸を家に戻した。家に帰った王明鐸派、すでに人の形がなくなり、元々太っていた身体は、皮と骨しか残っていない情況であった。また、力がなくて座ることさえできない情況だったので、王明鐸は横になっているしか仕方がなかったのである。このような状況を見た王明鐸の家族の心の痛みは、言葉に言えないぐらいであった。このような体質の王明鐸を、唐山労働教養所は、後ろを布で覆った車で送ったのである。非常に薄い服を王明鐸は、この車の後ろに置かれ、4、5時間も厳寒の中で震えなければならなかったのである。 労働教養所から戻った王明鐸の身体は、ずっと非常に弱かったのである。その後、腿と脚が腫れたばかりでなく、お腹も膨れていた。また、尿漏れも頻繁になっていた。このような苦しみの中で、王明鐸は2006年2月17日の午前8時に、この世を去った。 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/19/121151.html) |