明慧ネットに投稿することも大法弟子の責任である
【明慧ネット2006年2月23日】非常に当たり前のことだが、私の心に衝撃を与えた。
それは、10月27日に明慧ネットを閲覧したとき、突然、「弟子切磋」の項目がないことに気づいた。私は毎日明慧ネットを見るようにしている。特に弟子切磋の項目は必ず読んでいる。数年来、私は明慧ネットからたくさん学び、何度も非常に大きな向上があった。明慧ネットが私に与えた影響は非常に大きく、私にとって毎日学法すること、そして明慧ネットを見ることは欠かさずに行うべきことである。
明慧ネット27日の状況を見て、私は冷静になって考えてみた。投稿する文章がないのではないか。しかし、自分のことを考えてみると、明慧ネットからたくさん教えてもらったが、去年の大陸弟子修煉心得体験書面交流会のときに、一度投稿したのを除いて、それ以来一度も投稿したことがない。ただ求めるだけで貢献しない自分は、どんな人間なのだろうか?
大きく言えば自己中心的で、小さく言えば冷静である。私は修煉体験を多く感じているので、書く内容がないわけではない。私は自分を責める中で責任を感じた。明慧ネットは、大法弟子全員が共有するものであり、それは私達それぞれ弟子と師父をつなぐ紐帯である。ならば、大法弟子として、明慧ネットをよく維持し、明慧を円容する責任がある。明慧ネットに投稿することは、個人のためではなく、自分を表すためでもなく、大法弟子が共有する資源への投入であり、全体が円容するための貢献であると認識すべきである。修煉者の皆さんが投稿することで、はじめて明慧ネットという修煉者が交流する場ができるようになり、誰も投稿しなければ、このような交流する環境を維持することができようか?
それともう一つ感じたのは、正しくないかもしれないが、それは弟子切磋の項目の文章の内容は、以前と比べてそれほど良くはない。以前のように、法理から徹底的に認識し、考えがはっきりとした文章は、めったに見られない。これはどうしてだろうか。
いずれにせよ、27日に弟子切磋の文章がなかった本当の原因は何であろうかと、私は自分の考えを書いてみた。たとえ、ほかの原因があったとしても、すべての大法弟子が積極的に明慧ネットに投稿することも、持つべき責任であり、その中に私も含まれている。
個人の次元に限りがあり、正しくないところは同修の指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/23/121432.html)
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