二言三言:誰を円融するのか
文/大陸法輪功学習者
【明慧ネット2006年2月27日】最近、大陸における某弁護士により提起された迫害に反対する断食活動に対して、少なからぬ学習者も積極的に加わった。これらの学習者は、常人でも生死を放下して迫害に反対できるなら、我々は、自分が当然負うべき責任を持って、協力すべきだと思っている。
常人として邪党のしたすべての迫害に反対していて、法輪功学習者がこれを支持する、これは何の問題もないが、同時に常人が行ったすべての正の行動も、天象の変化の下で法輪功学習者に協力することだと、自分が作ったメディアで報道している。それなら、法輪功学習者は常人についていって行動しているかどうか自分の認識を明らかにしないことが、できるのだろうか?我々は誰を円融するのだろうか?
もし、常人の正義の行為が、大法を支持し、そして法輪功学習者への迫害に反対することであれば、我々の適切な支持は、正法における常人の選択に対しての励みと認められる。もし、ただ常人の次元の人権擁護行為であれば、それは常人社会のことであり、これはまったく違ったことなので、我々の認識はかならず明晰でなければならない。
法輪功学習者が歩んでいる道は、神の道なので、我々は師父の要求に従って行動し、しっかりと師父の正法の進みについて行くほかはない。我々が迫害に反対して、行ったすべての目的は、世の中の人々を済度し、法を実証することだ。常人社会で起こったすべての変化は、正法の人間次元の現われだけだ。法輪功学習者こそ、世の中で法を実証し、衆生を済度する主役である。我々の道をきちんと歩むことが最も重要なものである。常人に頼ることも、一種の執着心ではないだろうか?
皆さんは理性を持って、冷静に後の道を正しく、そしてうまく歩むことが望まれている。
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2006/2/27/121741.html)
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