「切磋」について
文/大陸の大法弟子 【明慧ネット2006年2月22日】明慧ネットでは専ら修煉者の間で交流するための「弟子の切磋」コラムを設けており、投稿する全ての同修は皆自らの修煉の中で具体的な問題に対する理解や、「三つのこと」を行うときの素晴らしい体験を含め、体験や失敗の教訓について、法理上の悟り等を全世界の同修に公開しています。私達読者も異なる問題に対する異なる切磋琢磨により、異なる角度からそれぞれ修煉過程で得た知恵や見解を交流することが出来ます。
しかしそのために私達は、時にはある同じ問題について、いくつかの投稿者の悟りの差異による相違点があり、表面上から見ると相反になることもあります。私はこれらのことは正常であり、そうでなければ「切磋練磨」とは言えないと思います。すべての人は自らのその時の修煉状態と到達した次元を現しています。しかし言っておきますが、大まかに見る時も、何かを考える時も、いつも自らを探すと、啓発があって、共に向上することが出来、微妙で不思議です。全ての文字や行の中にその「境地」が含まれていますので、同修者が書いた文章は心を鎮めて読み、観念によるずれがあってはいけません。注意深く読み終えてから内容の何処が正しく、何処が間違っているか、何が足りないかを考えるべきだと思います。もしざっと読んでから「この文章はこの意味だろう」と同修の文章に対して簡単に結論を出すと,誤解が出るかもしれませんし、或は完全に理解出来ないかも知れません。それに対して、人類の言語は限られていますので、作者は恐らくいくつかの原因のために、言いたいことをよく表現出来なかったかもしれないし、更に読者の十分な理解も必要だと思います。修煉者は絶えず修煉することにより、知恵が向上し、度量も大きくなり、エネルギーも強くなり、物事に対する理解力や、分析能力も必ずどんどん強くなります。
聞くところによると、かつて同修の投稿文が掲載されてから、それを明慧ネットの肯定文及び推薦文と見なして、落ち着かず周りの同修に「明慧ネットに載せてある、私の観点を肯定した」と言い、それを見せびらかして周りの同修と切磋しなくなりました。私の理解では、明慧ネットの基本的な原則は、主な問題、主な方向は保証しており、只編集部のお知らせ、公告、ホームページの管理は明慧ネットのものであり、「弟子切磋練磨」及び国内外のニュース、情報は法を実証(個人修煉の体得、反迫害、真相説明、邪悪廃除、衆生が真相を知ることの妨害一掃)する為に情報を提供し交流する場を設けることであり、文章が基本修煉の原則に背かず、正法の局面に必要であることを前提に「三つのこと」に対して正の影響があれば、一般的に掲載されます。しかし文章が掲載されたからと言って、その人が認められたとは限らないと思います。1篇の文章で一人の人間の修煉全過程を表すことは出来ないと思います。推薦されたのは文章であり、作者ではないからです。以前は作者の筆名を付けましたが、今は筆名さえ不要で、ネット上で個人の観点を発表して、同修の参考として載せられます。実のところ、誰でもあの交流文はその人が書いたと証明できません。確かにある学習者はある文章は自分が書いたと広く宣伝していますが、しかしあの文章の観点を発表する価値がないと言うのではなく、あの学習者のいくつかの執着心があまりにも強いので取り除くべきだと思っています。
以上は個人の認識ですので、ご参考までに。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/22/121270.html)
|