日本明慧


夢の中で師尊が警告:修煉の道は狭い

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2006年2月17日】私は2002年に法を得て、三つの事を一生懸命に行っている。私を通じて、大法を修煉し始めた人は多く、中に外国人もいた。同修たちはすごいと褒めてくれるが、実はよくない一面は同修の前に見せていないだけで、個人の修煉では法の基準にまだ遠いのだ。

 同僚たちは、いつも彼女たちの主人は優しく、甘えさせてくれるなどと言って、私の執着を引き起こした。

 また、同修(家族でもある)との間で激しいトラブルが起きて、彼はたくさんの時間を常人のネットを見たり、各種の携帯で遊んだり、美女の写真をダウンロードして使っている。一方、他の同修たちは真相資料を作成するのに常に夜2時ごろまで働いているのに、彼はこのことを知りながら、かえって助けようともしなかった。また一度、同修が彼に何通かの手紙を渡して、帰り道で郵便箱に入れて欲しいと頼んだ。結局2週間後私は彼の鞄の中にそれを見つけた。彼の修煉の様子を見て、勧めても、責めても聞かなかった。もう我慢できず、修煉者らしくないと言って大きな声で叱った。実は彼がいくらよくできなくても、彼を怒る私は修煉者ではなく、慈悲も足りない。私は彼の不足ばかりを見ていて、それが自分の心性に対する私の試練だとは、思わなかった。

 この状況下で、私は一つ夢を見た。

 夢の中で、文化大革命の時、私たち一家は農村へ戻った。その農村からすでに長く離れていたけれど、ずっと忘れることができなかった。今みんな何をしているか見に行こうと、夢の中で思った。村の入り口に着いた時、一人のとても慈悲なお年寄りが入り口のところに坐っているのを見かけた。彼は私に「あそこへ行ってはいけない、早く離れるべきだよ」と言った。私は「でも、彼らが今何をしているかとても知りたい」と言うと、お年寄りはまた「だめ、絶対行ってはいけない、あなたにはもう時間はないよ」と言った。私は「いいえ、私はどうしても見たい、十分だけ、あなたは待ってくださいね」というと、お年寄りは三回目に、「行ってはいけない」と、また言った。しかし、私はやはり誘惑を抑えられず、村の塀に登って、中を見た。

 その瞬間、後悔でいっぱいになった。村の中は、とても暗く、言葉で形容できないほど死の雰囲気が漂っていた。長いすに裸の人がいっぱい縛られていた。鬼たちが人体に穴を開けて、2尺ぐらいの針で黒い毒を注ぐと、一部の人はすぐに死んでしまったが、死んでも鬼たちは許さず、毒は死体が黒く洗浄できないほど皮膚の中に染み込んだ。私は悲鳴をあげて、塀の上から落ちた。

 お年寄りは私の手をとり、自分の子供に言うように、「怖がらないで、速く逃げて、まだ大丈夫、必ず速く!」と言った。私は立ち上がって走り出した。道がとても狭く、泥土や、イバラもあり、雨靴を持って来ればよかったのに、普段いつも身に付いていないから、必要なときに使えないと、後悔した。いつの間にか、横に一人の仲間が増え、私と一緒に逃げていた。彼はまた早く逃げるように励ましてくれた。道の両側に女の鬼たちが針を持って人間の体に刺そうとしていたので、私は道の真ん中を走らないといけない、道の両側には透明な塀があるようで、まっすぐ走れば、鬼たちは塀の外に隔されるが、もし道側に近づいたら、その塀はなくなり、道の外に出るようになる。道に近付かなければ、鬼たちは手が届かない。

 私は道に沿って走ったが、一緒に走った仲間は好奇心を我慢できず、止まって、道側に鬼たちがどういうふうに人を刺しているかを見に行くと、塀はなくなり、鬼たちは、すぐ彼を引っ張って行った。たくさんの鬼は、人を刺すように指図した。刺さないと彼を刺すというので、かれは仕方なく従った。

 私は走りながら彼を振りかえって見ると、彼は私を見て、「私は今それらと一緒にいるしかない、あなたは早く逃げて」と言っているようだった。私は続けて走って、川のところに出た。仲間をもう一回振りかえってみると、彼は一つの手を切り取り、その手は血が流れていた。彼の目は、「もう麻痺した、仕方がない。もしあなたがこっちにいると、あなたにも手を出すかもしれない」と言っていた。

 川の向こうを見ると、穏やかで、太陽の光も美しく、川を渡った人々は、みな黄色い服を着て前へ歩いている。どんなに幸せだろう、でも、私はまだあと何歩か渡っていない。本当に危ないところで、もう少し遅くなったら橋は無くなってしまう。すぐ渡ってそちらの道徳の高い人と一緒に前へ歩めば一番安全だ。鬼たちは川の向こうへ行けないから、と思って目が覚めた。

 夢の中の出来事は、全部私の修煉の道での具体的な考え、行為、遭遇したことへの警告であることは明らかだった。これは常人のことに恋しい同修への警告だと思った。高層からみると、常人社会はひどく痛ましいもので、まるで人を落とすところだが、ただ人間の目には見えないのである。常人社会は多種多様で、とても素晴らしく、とても繁栄しているように見えるが、実のところ、その道はとても狭く、好奇心が少し生じても、命に危険をもたらすかもしれないし、永遠に自分を滅してしまうかもしれないのだ。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/17/121021.html