曹ばあさんが法を得る話
文/中國大陸大法弟子
【明慧ネット2006年1月9日】
縁歸聖果
尋師幾多年,
一朝親得見,
得法往回修,
圓滿隨師還。
──『洪吟』
私は2001年後半に刑務所に不法監禁されました。そこで女性の同修・曹ばあさんと知り合いました。その刑務所の所長たちは『轉法輪』を読んだ事があるので、大法弟子に同情的な態度を持っていました。私達は個室や庭で煉功でき、法を学べました。普段私と曹ばあさんは休憩の時に会えます。交流の時、彼女は自分が法を得た過程を教えてくれました。
曹ばあさんはもう40歳を過ぎています。彼女はとても貧乏な農家の家庭に生まれました。小さい頃から彼女は誰も知らない秘密を持っていました。それは側に誰も居なくても、いつも誰か自分に話しかけているのが聞こえるのです。彼女は皆もそうだと思っていて、特に気にしませんでした。結婚してから、曹ばあさんは夫との感情があまり良くならないことを悩みました。しかし、彼女を一番悩ましたのは、あの長年の「秘密」・・・いつも耳元に響き渡るあの神秘の声を、どうしても振り切れないことでした。
その声は「人の世は素泊まりの宿のよう、そこに来るのも去るのもあっという間」、「あなたは佛門に入るのです」などと言うのです。時々、いついつにどの山に登山するようにと彼女に指示し、もし少し戸惑っていれば、夫は必ず訳もなく彼女を叱ったり殴ったりして、家を出させます。行く場所もなく仕方なく彼女はあの声の言うとおりにするしかありませんでした。幾年もこういう経験から、彼女は、普段節約して貯めた金を次に出かけるための旅費にしました。こうして何年か経ち、彼女は峨嵋山、五台山、クウドウ山、華山……など有名な山や川をほぼ全部回りました。登山するといつも寺社に入り、そこに泊まることもありました。
一度、その声はクウドウ山のある場所に行くように指示しました。彼女がそこに辿り着いたとき、道士がもうすでに二列に並んで彼女を待っていました。その中の一人は彼女を寺院の中に案内し、そして一緒に經文を読みました。ある年、曹ばあさんは峨嵋山に行きました。今回はいつもの目的と違って、彼女は出家して比丘尼になると堅く決めました。しかし、そこの比丘尼は彼女の誠意を受け入れず、逆に帰ることを勧めました。その後、曹ばあさんが一人で湖辺で啜り泣きしている時、急に天上から星の様な光が降りてきました。水面にあと距離1メートルのところで消えました。曹ばあさんは急に何かを悟って、うれしくなって家に帰りました。だんだん自分に話しかけているあの声は観世音菩薩で、しかも自分とは姉妹だと言っていることが分かりました。
一度、指示に従ってクウドウ山へ行きました。その日は特に清々しく彼女は佛殿に入り、ちょうど膝を屈し、佛祖に御香を焚こうとする時、耳元の声が話掛けてきました。彼女に顔を上げ佛祖の左の人を見るようと言いました。しかし、自分はただの凡人で、佛祖をまっすぐ見ることなんてできない!と彼女は戸惑いを感じました。またあの声に同じことを言われた時に、ようやく顔を上げてみました。とても背が高く大きい人を見ました。それで今回はまた疑問を持って家に帰った後、曹ばあさんはよく師父を探すことや修煉などを言われ、だんだん佛祖が見せてくださった人は探すべき師父だと悟りました。その後何年も掛けてずっと探しました。
1998年のある日突然、曹ばあさんは「師父は海外に行きました」とあの声に言われました。一度、町に出かけた時、ある煉功場所にちょうど通りかかって、何人か煉功しているのを見ました。彼女は好奇心にかられて横にかけていた横断幕の写真を見ました。その中の一枚を見た時(香港大屹山で撮った師父の写真)、彼女は急に「この人は見覚えがある。どこかで会ったようだ」と感じ、まだ思い出さない時、煉功している人がこれから映像を流すというので、彼女も見ました。その声を聞いたことがあったので、映像の中で話していることを聞けば聞くほど彼女は驚きました。第七講を流すときに彼女は急に??山で見たあの人を思い出しました。この人は自分が何年もかけて探した師父ではありませんか!当時は言葉にできないほど衝撃的な気分でした。
こうして曹ばあさんは法を得ました。彼女は法の大切さを知りました。その後は自分が精進しながらも法を家族に伝え、母や、兄、兄嫁たちにも法を得させました。
99年に迫害が始まったとき、彼女は少しも動揺しませんでした。ただ中央政府の決断に困惑を覚え、正法の過程を進んでいくにつれて、北京へ法を実証しにいく弟子が多くなり、曹ばあさんも実家の家族と北京へ法を実証しに行くことに決まりました。しかし、車に乗ったときに、事情を聞いた彼女の夫は追いかけてきました。腹を立てて彼女を家に連れ戻し、出られないようにしました。曹ばあさんはとても焦りました。夜になって急に大風が吹き、なんと彼女の家の後ろの壁を吹き壊しました。彼女は窓から出て、一人で北京へ行きました。彼女は悪らつな警官に地元北京駐在所に連行され、そこで実家の家族に会いました。後は一緒に地元に返送され、そして不法監禁され、罰金されました。
この後もまた警察に二回不法に連行されて、労働教養されました。労教所に入る前、身体検査をする時に、彼女は正念が強いので、血圧は急に高くなり、労教所に拒否されました。労教所を出た途端、血圧はまた奇跡のように低くなり、彼女を連行してきた警察は悔しくて、彼女を刑務所に不法監禁しました。
私が刑務所に不法監禁されたときは、曹ばあさんはもう何カ月も中にいました。ある日、彼女は急に自分はもうここにいられないと感じて、断食の形で迫害に抗議しようと思いました。しかし、断食で自殺を企てていると言われそうで、大法の名を汚してはいけないと思い、私に意見を聞きに来ました。その時私は彼女に「こういう行為をするのは、ただ邪悪に合わせないだけです、自殺ではありません」と言いました。彼女は断食を三日続けて、刑務所は責任を取られたくないので、医者を呼んで彼女を診察しました。曹ばあさんは正念で血圧を高くさせました。診断の結果は、「彼女の血圧は240あるのに、こんな重病の人をまだ監禁するのですか?」と医者は厳しく所長に指摘しました。医者はすぐに彼女の診断書を出し、そして曹ばあさんはようやく刑務所から出られました。
あの時から何年も経ちましたが、私と曹ばあさんは会っていません。お互いに自分の道をあるいています。いつも曹ばあさんのことを思い出すと、師父が衆生を済度することの難しさと大法の偉大さを感じます。曹ばあさんは字が読めませんので、彼女が法を得る過程を資料にまとめることを当時約束しました。何年も経って、忘れてしまったお話もありますが、ここで代筆しました。大事な過程を書き逃しのないように、同修の慈悲な指適をお願いいたします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/9/118310.html)
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