日本明慧


人間と神の区別は一念によって決まる

 文/北京の大法弟子

 【明慧ネット2006年2月24日】最近、同修Aと話しているときに、同修Bが最近病気の状態で入院したことを話題にした。退院した後でも、薬を飲んでいると話した時、Aは自分の最近の体験を教えてくれた。

 旧暦新年の前、彼女は2本の歯が痛くて10日間ぐらい熱が出た。3日間ほど痛くてたまらず、師父の肖像に向かって合掌し、「師父、私は病気を見てもらいに行くわけではなく、ただ病院へ痛い歯の神経を抜きに行くだけです」と言った。病院に着いた後で、医者が「まず麻酔注射をします」と言ったので、彼女は注射という言葉を聞いて、すぐ「私は大法の修煉者で、注射はできない」と考え、治療せずに家に帰った。歯はずっと痛くてたまらなかったのに、突然まったく痛くなくなった。

 夜、夢を見た。ある山の洞窟の中に、彼女と2人の女の子がいた。突然、山崩れが起こり、洞窟の中の膝がしらまでに水浸しになり、驚いた女の子は慌てた。この時、彼女は自分の安否を顧みず、全身の力で女の子たちを山の上に押しあげた。彼女はその時にもう力がなくなり、一生懸命に上へ登ると、突然目の前に大きな石があった。「登ろう!無理でも必ず上まで登らなければ」と考えた。その時、山の頂上からひとつの大きな手が出て、彼女を引っ張りあげた。しかし、山の頂には誰もいなかった。

 彼女は、次のように悟った。突然、困難にぶつかった時、怖くても逃げないで、正しい信念を固めれば、師父は私たちを助けてくださる。人と神の区別は、そのときに正しい信念の一念を持つことができるかどうかによって決まる。

 同修Bは、退院してもう2カ月間あまり経つのに、まだ薬を飲んでいる。彼女はこの一、二年、常人の心が多く、心性が高まらず、難が多く、突破できないと自分でもはっきりと分かっている。

 同修Cはかつてこの地域のリーダーで、最近の数年間は自分の状況が良くないと感じている、何かが自分と大法の間を隔てているような気がして、意気消沈している。長期間にわたって、家事、仕事、親戚のこと、気楽な心、怠ける心に邪魔されている。三つのことをすることが少なく、自分の円満成就ためにやっており、なかなか精進できない。邪悪は彼女に自分は修煉者ではないと考えさせ、彼女はついにそのように考えた。自分の状況を焦っているが、ずっと変えられない。

 このことに対して、その地域で99年に法を得た精進する同修は、「実は大法の修煉は簡単で、ただ確固とした不動の一念だけです。自己を徹底的に捨て、師父を硬く信じる、この一念だけです」と言った。

 私は何回か体験したことがあった。他の空間で邪悪が私の大法への正しい信念を潰すつもりで、邪魔したり迫害したりして、邪念を作ったが、しかし私は冷静に動揺せず、師父の法を堅く覚え、正しい信念の一念を持つと、思想がはっきりして、意志がもっと堅くなり、正念がもっと強くなった。師父は「修煉だから、困難に圧倒されないでください。どんなことがあっても、いくら難しくても、師父があなたに与えた道をあなたはきっと歩んでくることができます。(拍手) 心性さえ向上すれば、乗り越えることができます。」と言われた。(『ニューヨーク地区法会の講法と解法』)

 人間と神の区別は、私たちの一念によって決まるのである。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/2/24/121393.html