日本明慧
|
【明慧ネット2006年3月5日】私は肉に対する執着がなく、そのため、肉に対する執着を取り除くことにおいて、大した体験はない。しかし、私は果物が好きで、特にみかんが好きだ。どれぐらい好きかというと、会社の食堂で毎年冬になると、果物の市が出され、毎日みかんを買うことができる。冬になるたび、私はみかんを1つ1つ買うようにして、口で食べているみかんを、まだ食べ終えていないときにさらに1つを買いたいと思っていた。毎日、会社から家に帰るたび、最初にやらなければならないことは、みかんを食べることである。私は一度に大きなみかんを食べ終えることができる。外に果物を売る露店があるのを見るたび、必ずみかんがあるかを確かめる。 師父は『転法輪』で「食事につきましては、肉だけではなく、どのような食べ物にも執着してはなりませんし、その他のものも同じことです。わたしはどうしてもこれを食べるのが好きだ、と言う人がいますが、それも欲望で、修煉者はあるレベルに達しますとこの心がなくなるのです。」とおっしゃった。私は、自分がみかんを好きであることが執着まで至っていることに気づいていなかった。そのため、特に変えようとしなかった。数ヶ月間みかんを食べ続けると、ある日夢の中で、私は手にみかんを持って食べているとき、なぜかトイレに行きたくなって、手にみかんを持ったままトイレに行くのはよくないと思い、みかんを置いてからトイレに行った。トイレに行ってみると、中に非常に大きくてきれいな穴があった。記憶の中では、ここはもともとトイレであったが、今は汚い物を全部放り出して、とてもきれいになったと言われている。夢はここで終わり、私は目覚めた。 夢から覚めた私は、その夢の真意を悟ることができなかった。しかし、それ以来、自分のみかんに対する特別な好みがなくなり、買わなくなって、ほかの食べ物と同じように感じるようになった。そこで初めて、この夢を通して師父は私に食べ物に対する執着を取り除くよう、啓示を与えてくださったのだと思った。 非常に取るに足らないことであったが、ここで書き出して言いたいのは、師父におっしゃるすべての言葉はまさにその通りであるということだ。
|