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2006年2月、24件の迫害死が実証された(写真)

 【明慧ネット6年3月5日】(明慧記者・黎鳴報道)2006年2月、24人の中国大陸の法輪功学習者が迫害されて死亡したケースが民間ルートで実証された。1999年7月20日、中共と江沢民集団が不法に法輪功を迫害して以来、現在まで、迫害され死亡した人数はすでに2838人に達したことが実証できた。

 石家庄北郊刑務所はわざと人を殺す:楊暁傑さんを、死の直前になって家族に通知した

 楊暁傑さん(男性・40歳)は、中国青年報北方事務所に勤めていた。1995年から法輪大法を修煉し、「真、善、忍」に基づいてよい人となって、仕事中も一所懸命働き、勤め先から表彰を受けた。生活の中では、親孝行をし、喜んで人を助けた。一家は仲睦まじく、幸せだった。

 

               楊暁傑さん生前の写真 生前の楊暁傑さんと妻の劉潤玲さん、娘の楊文ジンさんとの記念写真

 中共ごろつき集団が法輪功を迫害してから、楊暁傑さんは公民の権利として北京へ陳情に行き、法輪功の真相を伝えたため、不法に拘禁され、職場から解雇された。家族は長期にわたって監視され、当時まだ11歳の娘も派出所に連行され、強制的に洗脳された。

 2000年9月29日、楊暁傑さんと妻の劉潤玲さんは仕方なく路頭に迷うことになったが、悪党機関に不法に指名手配された。2001年9月28日、夫婦は一緒に逮捕され、めった打ちされ、鉄椅子などの拷問で迫害された。2002年9月9日、楊暁傑さんと劉潤玲さんは、同時に不法に11年の判決を下された。楊さんはずっと不法に河北省石家庄北郊刑務所十一刑区に拘禁され、劉さんは現在までずっと河北省女子刑務所一刑区に不法に拘禁されている。

 2004年6月2日夜、楊さんは洗脳を強要する茶番劇を見ることを拒否し、絶食、絶水で迫害を抗議したため、乱暴に灌食された。灌食後三日間、楊さんはずっと咳をし、血を吐いて、高熱を出した。その後に、脊椎が激しい痛みに襲われて、半身不随で寝たきりになった。楊さんは極度に痩せ、虚弱の状況下でも、刑務所は転向しないという理由で、一年以上家族の見舞いを許さなかった。わざと楊さんの身体の状況を隠し、重病による服役中の一時出所もさせなかった。2005年12月28日、やっと息も絶え絶えとなった楊さんを家族に渡した。家族は楊さんを病院に連れて行ったが、医者の最初の言葉は、「なぜこんなひどくなってから来たの?遅すぎるよ!」だった。

 

                  迫害されて皮と骨ばかりに痩せた楊暁傑さんの腰部、足部の写真

 河南省・張準麗さんは、警察に4階から落とされ自殺とされた

 2006年1月13日、河南省陝県の大法学習者・張準麗さん(女性・55歳)は警察に連行され、その日にめった打ちされて死亡した。悪らつな警官は犯罪事実を隠すため、張さんの遺体を4階から下へ投げ落し、張さんが飛び降りて自殺した現場を偽装した。

 情報によると、直接張準麗さんを殴った悪らつな警官は張亜輝、呂飛、康転森、その中で呂飛と康転森は最も邪悪で、特に呂飛が一番ひどい。

 山東省・王新博さんは、不明な薬物を注射されて死亡

 山東省淄博市張店区の大法学習者・王新博さん(男性、48歳)は山東省刑務所で残酷に苦しめられ、3回も不明な薬物を強制的に注射され、2006年旧暦新年の直前に釈放されて家に帰ったが、まもなく、2006年2月10日に冤罪が晴れないまま死亡した。

 吉林省・李鳳芹さんは警官に苦しめられて死亡

 吉林省树樹市の大法学習者・李鳳芹さん(女性・50歳)は、2005年10月11日午前、友達の楊秀華さんの家にいるとき、突然数名の警官が侵入してきて、留置場に連行され、監禁された。李さんは絶食で迫害を抗議したが、7日目に乱暴に灌食され、死ぬまで苦しめられた。医者の検査によると、血圧がなく、脈もなく、瞳も大きく開き、血も抜き出せなく、針一本通らず、腹は大きく脹れ、腸閉塞と診断された。とても深刻で、手術ができないため、医者はどうすることもできず、家族に以後の事を用意するように言った。李鳳芹さんは2006年1月30日午後に冤罪が晴れないまま死亡した。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/3/5/122116.html