自分の執着心を見つけ、私心を見通した
文/台湾大法弟子
【明慧ネット2006年3月2日】最近私は自分の極端な執着心を見つけました。心の中に深刻な執着心、つまり顕示心がありました。どんな話をしても、どんなことをしても、出発点は自分がその中で利益を得ることができるかどうか、有名になれるかどうか、ということで、非常に頻繁で深刻なものでした。実験室にいる後輩は、いつも私のことを上辺だけで褒めていました。したがって、自分が上辺だけでほめられることが好きだということに、以前の私は気づきませんでした。
私は英語が好きです。英語を勉強する目的は自分の能力が「ハイクラス」だということを顕示するためでした。ある日外国に行って、英語が話せる外国の法輪功学習者に会いました。彼は私にとって英語を練習するパートナーとなりました。このことからみると、自分の目的は不純で、心から人と接しておらず、彼が他の人と話しているときに、私は嫉妬心を起こしました。
執着心を持っていて苦痛を感じました。嫉妬心を起こすと自分が苦しい目にあいます。人はそれぞれ運命があります。なぜ他人に嫉妬するのでしょうか?顕示心もそうでしょう。有名になりたいと思えば、上辺だけで褒める話ばかりだと、辛くないですか?他人が自分を認めてくれないことを恐れています。
私の平凡な学生生活に苦痛を増やしました。学生としては、もともときちんと宿題をして、教授から直接褒められ、卒業できるようしっかり頑張る、しかしこれは自分の私心と感じました。同時に、私はあまり多くの時間と精神力をそのために費やしたくないと思っていました。またこれも私的な行為です。きちんと宿題をしないと教授から注目されず、時間を費やして有限な時間を浪費することを恐れました。その結果毎日矛盾と細かいことにけちけちするというような雰囲気で生きる結果となってしましました。いつも自分が損して、宿題をする気になれず、ほんの少しの時間でも疲れてたまりませんでした。
法輪功の真相を伝えるとあまり良い顔をされず、それを見ることを恐れていました。辛いことに恐れ、しないと円満できないと心配し、毎日イライラして、両立する方法を考えて…。このような状況は辛いのではないでしょうか?
友達と付き合っているとき、いつも自分の時間を無駄にして、自分にとって利益が見つからないとき、適当にあしらっていました。もし、友達が私に頼み事をすると、自分の心の中では、他にもいろいろとすることがあるのに、と不機嫌になります。実は自分の利益を重視していました。
自分の執着心を見つけて以来、自分が牢屋から飛び出すことができたように感じ、心も寛容になり、これからの人と人との付き合い方もやっとわかりました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/2/121906.html)
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