日本明慧


毎日三つのことをしっかり行うように

 文/東北大法弟子

 【明慧ネット2006年3月5日】1999年3月に私は大法修煉を始めた。ただ2カ月修煉しただけで、私をずっと苦しめていた病気が一掃され、これは本当によい功法であると分った。修煉の中で私は自分に対する要求を緩めたことはない。何回も生まれ変わる中でとても大きな思想業力を作ったため、とても疲れを感じる時もあった。その時はまだ入門したばかりで、何が法理か知らず、ただ師父の教えられた話は重みがあり、すべて真理であるということは分かっていた。7・20から外で煉功する環境はなくなり、自分一人で、自宅で煉功していた。煉功音楽がなく、何回やったか自分で数えるしかなかった。いつもテレビで言っているのは嘘、間違いであると感じていた。

 ある日、昼寝をしていると、夢で天空からとても大きな丸い物体が下に向かって回転しているのが見えた。夢の中で私は地面に跪いて、大声で泣きながら「師父、師父!」と叫んでいた。泣いて目が覚めると、師父が私にヒントを与えてくださったのだと考えた。師父だけが私の最も親しい人であり、私は師父から離れることができないと思った。そして当時まだ修煉していない夫に「テレビで言っていることを私は信じない。誰も修煉しないとしても私は最後まで修煉する」と言った。特に師父からヒントをいただいて、私は大法修煉に対する自信を更に固くした。

 2000年に私は引っ越ししたため、知り合いの人がいなくなり、交流の環境もなくなり、ただ家で修煉していた。ある晩、夢の中で師父が表に出てするようにとヒントを与えてくださった。天空の東南方向に三つの大きな字「外」が現れた。その上どんどん大きくなっていった。しかし、当時は悟れず、後になって同修の家に行った際に、それは「師父があなたに表(外)へ出て行きなさい」とヒントを与えてくださったのだと教えてくれた。2001年に私は北京へ法を証明しに行った。金水橋で私は心の底に抑えていた言葉「法輪大法は素晴らしい! 師父の潔白を返せ!」と叫んだ。捕えられた後、刑務所で迫害を受けた。しかし、4日後、師父は私に病態を現してくださり、刑務所から救い出してくださった。私は北京へ行く前に、家族に6日後に帰って来るとメッセージを残しておいた。「物事の良し悪しは人間の一念による」と師父に教えられた。本当にそうであった。私はちょうど6日目に家に帰ってきた。

 その時から、私は更に精進した。師父から教えられた、三つのことをしっかり毎日行い、衆生を救い済度し、学法と煉功を一日もおろそかにしなかった。私にこれは有為で、執着であり、衆生を救い済度することは必ず自然に従うべきだと言う同修もいる。私は師父が時間を弟子に残してくださったのは、自分を修正し、時間を無駄にせず衆生を救い済度させるためであると思っているので、毎日三つのことをしっかり行い、一人でも多く救うことが出来ればそれでいいと思っている。この過程の中で確かに大法の仕事に執着する心が生じていたが、これに対して正念を発して、数回だけでこの心を取り除くことができ、恐れる心も少しずつ取り除かれた。これで三つのことを順調におこなうことができた。

 2005年の春、夫は脳血栓になったため、学法と煉功を始めた。夫は手足の動きが悪く、煉功動作も基本にあっていなかった。私は夫に対して寛容でいることができず、更に善と忍もなかった。彼は充分本を読んだのに、これほど不器用で、悟性が悪く、夫に対する要求を高める心が生じた。私が外に出るたびに夫は早く帰ってくるようにと言った。この言葉を聴くと私は反感を覚え、自分を煉功者として律することができなかった。実際これらは自分の執着を放下できなかったからであった。その結果邪悪に隙に乗じられ、昨年10月、意外にも捕えられた。留置場で私は内に向けて探し始めた。まだ多くの執着心が取り除かれていないことに気づいた。留置場に拘禁されて二日目の夜、夢で西側の空の下にある枯れた木に、梅の花が咲いていて、真正面の南方向に現れた太陽がゴム鞠のように上へ向って走るのを見た。私はもうすぐ留置場から出られると悟った。やはり、半月後私は留置場から出できた。

 今回修正する字の数は多い。私は自分が持っている三冊を直し、同修の本も直したので、夜は、字の修正、或いは学法を11、12時までやり、昼は相変わらず三つのことをしっかり行った。夜の睡眠時間が少ないときは、それを考えないようにすると、少しも眠くならなかった。以前は夜9時から寝ても昼眠くなった。字の修正を通して、私は心性を修め、眠くなる関を突破した。すべての方法を尽くして、弟子に魔難を突破させてくださる師父に感謝している。字の修正は私の多くの心を修めてくれた。師父は『洪吟(二)、断』の中で、「修不難 心難去 幾多執着何時断 都知苦海総無岸 意不堅 関似山 咋出凡」と教えられた。

 この文章を書いたのは互いに交流して全体が向上し、着実に修煉することですべての邪魔を突破できることを望むからである。私は4年しか学校に通ったことがなく、文章がうまく書けないが、同修の慈悲なるご教示を願っている。


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/3/5/122098.html