迫害された7年間、私は家族と一緒に新年を祝ったことがない
文/四川の法輪功学習者
【明慧ネット2006年2月10日】1999年7月に邪悪な中共が全国で気が狂ったように善良な法輪功学習者を迫害してから、すでに7年近くなったが、定年退職のおばあさんの私は未だ家族といっしょに新年を祝ったことがない。2回の新年は、私は連行されて刑務所にいた。4回の新年は私の居場所がなくて、路頭に迷っていた。
2005年9月26日、私が家にいる時、4集団の人々が来て扉を叩いた。610オフィスの主任、国安、公安、地域警察、職場の保安、住民委員会などだ。私は彼らを相手にしていなかった。ひっきりなしに全地域に大捜査が行われて、パトロール・カーは昼夜私の住宅の周囲に止まっていた。
10数日間過ぎて、また警官、パトロール・カー、消防車が集まって、鉄の網戸を切り破って、扉のガラスを破って、強引に私の家に入り、師父の肖像・プリンター・書き込みドライブ及びほかのものを没収して、私を強行に連行しようとした。私は正念(発正念)で立ち去った。それから市の邪悪な頭目が会議をして、警官を派遣し、わめきたて、最後にもし私が現地に現れたら、どのようにしなければならないかと、話を出してきた。
新年の前に、私は乗り物に乗って東へ行って夫と娘に会いたいと思った。しかし駅ではすべての人の身分証を強引に検査して、身分証を持っていないとすぐ取り調べて、ビデオやファックスで所管の派出所に問い合わせていた。私は吹きすさぶ寒風の中、立ち去るほかなかった。
家を離れていた時、ぼろぼろの部屋で、私は師父を懐かしみ、師父は私のために心を尽くしてくださった。私は家族を懐かしみ、85歳の母はすでに涙がかれて、いつも娘を気遣い、娘達は四六時中母を懐かしみ、夫は妻と団欒することを待ち望んでいる……
私のいる小さい地区にいる、二人の60歳代のおばあさんは法輪功の真相を伝えたので、邪悪に4年の刑を下された。川西女子刑務所で体力と時間を超えた労働を強制されて、強行に洗脳を受けさせられて、厳管隔離を強行されて、家族の訪問も許されなかった。二人のおばあさんは2度不法な労働教養(行政罰)と労働改造(刑事罰)を受け、5回の新年をすべて刑務所で過ごした。一人のおばあさんの夫は悲しみ憤って、冤罪を晴らせないまま死んだが、おばあさんは半年たってもまだ経緯を知らない。
ある一人の60歳の優秀な老教師は、小学生に「真・善・忍」を教えたので、不法に3年の刑を下されて、徳陽刑務所で残虐に拷問され、年を取った妻と子や孫とも団欒することができない。
一人の若い女性従業員は真相を貼ったために、不法な労働教養をされて、資中の楠木寺労働教養所で残虐な体刑を受け尽くした。半身不随で寝たきりの父、何歳かの息子は、家族を思い苦しんでいる。
2002年に邪悪に連行され3年の労働教養を受けた一人の電気の技師がいる。出獄してから1年が経っていないが、再び連行されて、正念で脱走したが、それからは路頭に迷ってしまった……すべて迫害のために、家族がばらばらになり、遠く離れ離れになって、邪悪な中共に殺害され踏みつけられている。
一億の法輪功学習者、一億の家庭で、誰が新年を過ごすことができるのか。彼らのうち誰が家で団欒することができるのか。邪悪な中共の統治のもとで、民衆は本当にきわめて悲惨だ。冤罪や罹災者が至る所に満ちている中で、更に多くの冤罪と罹災者が増加している。海のような血と涙がすでに明らかな証拠だ。邪悪な中共が存在する限り、民衆の新年はない。
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/10/120492.html)
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