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王晟標さんが石家荘北郊刑務所に不法監禁された

 【明慧ネット2006年1月26日】法輪功学習者・王晟標さんは2004年10月に、不法に11年の刑罰を下されて以来ずっと、石家荘北郊刑務所(河北省第4刑務所とも呼ばれる)の厳管チームに監禁され、迫害をされている。厳管チームの警官は侮辱、虐待、体罰、殴打、1カ月間眠らせない、外部と隔離するなど卑劣な手口で、法輪功学習者の転向を強いている。

 王晟標さん(47歳男性)は、河北省化学工業学校の教師で、1994年法輪功の修煉を始めた。体が健康になり、すっかり元気になった。仕事も苦労をいとわずに、上司や同僚から好評を得た。家では良い父親で、良い息子で、良い夫でもあった。

 法輪功が迫害された後、王さんは、「真・善・忍」を堅持し徳を重んじ、心を修め続けるので、いろんな迫害を受けてきた。2001年10月やむをえず家を出て流浪生活を始めた。石家荘市「610オフィス」の悪人は王さんを逮捕しようとし、高額の懸賞をかけたり、家族を監視したり、携帯電話を盗聴したり、家族を連行したりした。

 2003年7月31日、王さんは雲南省大開河公安検査ステーションで国安に逮捕された。2003年9月2日、王さんの妻・梁林紅さんは別のルートから夫が逮捕されたことを聞いたので、石家庄市長安公安支局に尋ねると、副局長・劉某は初めて王さんを逮捕したことを認めた。しかし逮捕した理由や監禁している場所について何も言わなかった。

 王さんは雲南で逮捕された後、石家庄に連れ戻され、鹿泉市留置場に拘禁された。何度も尋問され、脅迫したり利益で誘惑されたりして、洗脳を強いられたが、法輪功の修煉を放棄しなかった。 
石家庄市公安局610オフィスの悪人・馬文生は「転向しない」という罪名で、王さんを3年の労働教養に処した。2003年12月31日に、王さんは石家庄市労働教養所2大隊202中隊(その後3大隊特管中隊に変更)に監禁された。

 労働教養所で、3大隊中隊長・辺樹強、副中隊長・張立と董新国は、「睡眠させない」虐待を行い、目を閉じるとすぐ殴った。これで王さんが妥協しなかったため、今回は「馬歩」という苦しい姿勢を強いた。完全にしゃがむことを許されず立ち上がることも許されない。連続して20数時間もこの姿勢を強いられても、王さんは「四書」に署名しなかった。警官は王さんを殴るよう他の受刑者に指図し、またトイレに行かず、同時に洗脳を行った。 

 王さんは最初、連続して9日間眠られなかった。そして一度寝て、また連続して7日間眠られなかった。春節に入ってから一日休んで、旧暦正月2日からまた、4、5日おきに一度眠らせなかった。修煉者の意志をつぶすためだった。このように何度も繰り返し、2004年2月12日までに、睡眠させない拷問と「馬歩」の姿勢を強いられた日は40数日間もあった。その後王さんを個別に隔離して「厳管」を行い、毎日夜中の2時になってやっと寝かせるが、5時半に起こし、誰とも接触させなかった。

 このような非人道的な苦難を様々受けて、王さんは心身とも極めて深刻に傷つき、両足の指はすべて知覚を失い、片方の足は持ち上げることができなくなり、もう一方の足は力が入らず、血圧は非常に高くなり、生命の危険にさらされている。しかし、悪らつな警察は重病のための服役中の一時出所を拒否した。

 2004年6月7日、王さんはケイ台市第1留置場に移された。 

 2004 年8月19日午前8時、河北省ケイ台市橋西区裁判所は不法にでっちあげた「河北省ケイ台テレビジャクに参与」、「王新忠の取材録画」などの罪名で開廷して王さんの裁判を行った。家族に3枚の傍聴許可書を与えただけで、ほかの家族は裁判所に近づくことを許されず、裁判の内容も極秘にされた。家族の1人は録音ペンで録音していたため、強引に連行され拘禁された。王さんは不法に11年半の刑罰を下され、2004年10月18日より不法に石家荘市にある河北省第4刑務所厳管チームに監禁されている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/26/119502.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/2/12/69876.html