日本明慧
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【明慧ネット2006年3月17日】山東省寿光市の法輪功学習者・劉樹紅さんは数回にわたり迫害され、寿光洗脳班では意識不明になるまで迫害され、肉体的、精神的に大きなダメージを受けた。その後、劉さんの夫・劉宗山さんは不法に禁固3年の判決を受けた。中国共産党の長期の迫害の中で、樹紅さんの健康状態は悪化し、2005年7月25日、この世を去った。 劉樹紅さん(35歳)は寿光市化龍鎮化龍橋村の出身で、1998年から法輪功の修煉を始め、「真、善、忍」に基づき心を修め、善い人になるよう努めた。1999年7月、中国共産党が法輪功への弾圧を始めてから、共産党の鎮委員会副書記は数人連れて劉さんを自宅から連行し、その村のほかの法輪功学習者と共に、中学校に監禁して迫害を加えた。悪党たちは学習者に修煉を放棄させるため、学習者を炎天下に晒し、夜通し睡眠を許さなかった。さらに彼らは劉さんやほかの学習者の書籍や師父の写真を奪い去った。劉さんが屈しなかったため、悪人の張文圭(悪の報いですでに死亡)は劉さんを罵り侮辱し、さらに師父の写真の入ったフレームで頭を打った。フレームは砕け、頭には大きな瘤ができたが、劉さんは一声も漏らさなかった。悪党たちはさらに不法に奪った大法書籍と師父の写真を燃やした。 2001年3月、悪党は迫害の失敗から、法輪功への弾圧を強めた。悪党は不法に劉さんと夫、さらに家族含めて8人の法輪功学習者を密室に監禁した。このとき、悪党は計画生育弁公室(中国大陸で出生児を抑えるために一人っ子政策を行っており、そのための機関)、土地管理所、財政所、食糧管理所、派出所などの役人に入れ替わり立ち代りで、学習者を強制的に洗脳させた。劉さんは大法を堅持し、責められ、寒さの中で5日間食事を与えられなかったが、ついに3月5日夜、ほかの4人の学習者と共に正念で脱出することできた。 劉さんは家に戻り、ほかの4人の学習者は真相を伝えに北京に出かけた。派出所の警官と鎮政府の悪人たちはほかの4人の学習者を探し出せず、気が狂ったかのように劉さんを家から強制連行し、犯罪者のように手錠をかけ、まず殴打して、髪を踏みつけ、電気棒で電撃した。顔は傷だらけで、非常に恐ろしい顔貌に変わった。その後、悪人たちは劉さんを寿光洗脳班に送り迫害を加えた。 一カ月後、劉さんは迫害により意識が朦朧となり、家に帰された。時には泣き、時には笑ったりした。邪悪な610オフィスは劉さんに対して数日間絶えず責め、睡眠を許さず、強制的に大法と師父を中傷するビデオを見せた。劉さんは体が極度に衰弱し、精神的に大きな打撃を受け、身体の状態はますます悪くなった。 2001年10月、夫・劉宗山さんとほかの4人の学習者が北京に出かけ、横断幕を広げ、大法を実証した。彼らは天安門で警官に暴打され、宗山さんの片方の目は危うく失明するところであった。目の周りの骨が砕かれて腫れ、3カ月後にやっと物が見えるようになった。江沢民の「殺してもいい」の絶滅政策の下で、警察は宗山さんに手当てをまったくしなかった。さらに非人道的な虐待を加え、その後禁固3年の判決を下して、監獄に閉じ込めた。樹紅さんの父親・劉卿田さんも警察に逮捕され、1年間の禁固刑を言い渡された。 このような家庭内の重圧、社会的な重圧が全部樹紅さんにかかり、血圧が上がり、腰痛が続いた。 2003年8月、悪人たちはさらに樹紅さんの家へ来て脅迫し恐喝した。2004年、夫が刑務所から家に戻ったとき、樹紅さんはやつれ果てていた。2005年3月、ついに限界にきた。2回の入院で財産を全部使い果たし、残りの2万元も全部使い果たした。2005年7月25日、樹紅さんは10歳の子供を残し、この世を去った。
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