日本明慧


証拠を挙げる責任とメディアの信用

 文/飛鳴

 【明慧ネット2006年3月22日】証拠提供責任(burden of proof)の通俗的な意味は、誰かが何かの主張を提起した時、その人は証拠を挙げてこの主張を証明すべきだということである。もし一方が別の一方を告発するのであれば、告発した側が証拠を提供して実証する責任がある。しかし現代文明社会では、情況によっては証拠提供責任が逆になる場合もある。もし告発した一方に間接証拠(circumstantial evidence)と 手がかりさえあれば告発できるのであり、告発された側は必ず証拠を挙げて自分の潔白を証明しなければならい。もし証拠を挙げられなければ、告発された側に間違いあるいは罪があると認める理由になる。

 逆証拠提供責任は通常被告側が証拠を持ち独占した場合に適用される。例えば、医療事故で、患者に十分な医療知識と証拠がない場合でも、彼がある病院で医者にかかって損傷を受けたならば、いくらでもこの病院を告発することができる。病院は証拠を列挙して患者の受けた損傷に対し自分達には責任がないことを証明しなければならない。ほかにも米国証券監督管理委員会の株式市場に対する監督を例として取り上げれば、証券監督管理委員会はある上場企業が規則違反した間接証拠さえあれば、その企業を告発できる。そればかりか告発された会社は必ず証拠を提出して自分はあれこれの手段を弄しておらず、中小の株式投資家の金銭をだまし取っていないことを証明しなければならない。

 逆証拠提供責任はこれらの情況下で道徳と正義に合致するのである。これは文明社会で権勢団体が弱者、例えば患者あるいは中小の株式投資家に対し損害を与え、略奪することを防止するためである。しかしながら中共のように民をいじめて威張り、情報を封鎖する強権暴政には、逆証拠提供責任は言うまでもなく道義上なおさら必須の原則である。 

 蘇家屯事件を暴露する中で、明慧ネットはありのままに、迅速に証人の証言を報道した。これは紛れもなく強力な間接証拠となる。だから証拠提供責任はすでに明慧ネットに属するものではない。もし人々が写真あるいは実物のような直接証拠を求めるのならば、これは明慧ネットではなく、中共政権に要求すべきである。中共がすべての証拠資源を占有し、極力事実を覆い隠し、情報を封鎖し、ややもすれば国家機密漏洩罪で国外に情報を提供した人に危害を加える。このような情況下で、明慧ネットに証拠提供責任を負わせるのは理性的でなく、不道徳である。

 明慧ネットは自分たちの信用を至上とみなし、掲載する情報の事実確認に最善を尽くしている。今回蘇家屯事件を暴露した証人は未だたくさんの人たちが危険に曝されていると指摘した。もし明慧ネットが確実な物証を待ってから報道をするならば、危険に直面しているたくさんの人々は命を落とすかもしれない。このような情況下で、明慧ネットはありのままに、迅速に証人の証言を報道すると同時に国際社会にただちにこのことに対し調査を展開するよう要求しなければならなかったのである。これは責任のあるメディアのやり方である。

 万が一この情報が完全に正確でなければどうするのか?明慧ネットの信用に影響をもたらすのではないか?と聞く人もいるかもしれないが、私は逆にお聞きしたい、もしこの情報が完全に正確であればどうするのか?もし明慧ネットがいわゆる自分の「信用」のために人を助ける時機を逃し、危険に置かれた人々が命を落としたらどうするのか?自分のいわゆる「信用」のために他人の生死を顧みない、このようなメディアは不道徳なメディアではないか?道徳のないメディアに何の「信用」が云々できるのか? 

 明慧ネットを愛護している法輪功学習者達と友人は明慧ネットの信用をあまり心配する必要はない。資源、人力ともに非常に限りのある明慧ネットは一貫して真善忍の原則に基づいてやってきた。いかなる権謀利益もなければ、いかなる売名行為もなく、単に良心に恥じるところがないことだけを求めてきた。人々はみな公正な道理をわきまえる正義感を持っているのだ。

 人命にかかわる重大なことで、生きるか死ぬかの瀬戸際で、責任のあるメディアは証拠を待って人を助ける時機を逃してはならない。第二次世界戦争当時、西洋のメディアと政府はナチス収容所の悲惨な実態を調査、報道すべくもなかったが、今日これらのメディアと政府は同様の罪悪を無視している。私達には彼らの良知を呼び覚ます責任がある。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/22/123471.html