日本明慧
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【明慧ネット2006年3月27日】法輪功学習者の李体波さんは法輪大法の修煉を続けているため、2002年から河北省石家庄北郊刑務所に不法に拘禁されている。 李さんは拘禁された翌日、肺結核に罹っていることがわかり入院した。受刑者に常に監視されているため、学法も煉功もできず、体調はよかったり、悪かったりである。 2003年6月2日、馮という医師が数人の受刑者を連れて病室に入り、李さんに薬を飲ませようとしたが、李さんは正常に煉功ができれば、薬は飲まなくていいと言った。彼らが李さんを看護婦室に連れて行った後、馮医師は出て行った。七、八人の受刑者は李さんを取り囲んで殴り始め、みぞおちや腰を蹴った。李さんは痛みで身を縮ませてすぐ床に倒れたが、最後には、李さんを押さえて、無理やりに注射をした。 2003年9月、刑務所で学習者を転向させようとする、いわゆる「攻略戦」が始まり、26日、悪らつな警官の岳玉海は人を連れて病院へ行き、李さんを洗脳して「転向」させようとした。毎日小さい椅子に座らせ、毎日二時間しか睡眠を与えず、五、六日目には、李さんは絶えられなくなり、壁にぶつかり、結果、悪者たちはゴム管で臀部を殴り、手錠と足かせを嵌めた。 李さんに「四書」を書くように脅迫し、十日目には悪らつな警官の命令で、受刑者の楊艶群、祁振雲が竹の薄板で足を殴り、足かせを蹴り、針で人差し指を刺し、その後爪がとれて出血し、ズボンが血で染まり、背中の方にまで飛び散った。最後には、1mの長さの竹の薄板は三分の一だけが残っていた。李さんの足は脹れて太ももと同じ太さになり、皮膚も赤紫に変色し、七日間床を離れることできなかったが、三カ月後、やっと正常に歩けるようになった。 悪らつな警官はこのようにして学習者に「四書」を書かせようとしており、一つ一つの四書の裏には血のしたたる残忍悲道な茶番劇がある。しかし、これらの白昼の下での暴行は、残虐で邪悪な中共悪党と直接関系がある。
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