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法輪功弟子数人は労働教養所、北京へ陳情に行っている途中で行方不明に

 【明慧ネット2006年4月4日】

 1、大法弟子ゴン坤さんは団河労働教養所で音信が途絶えた

 大法弟子ゴン坤さんは昔北京で勉強しており、江西省南昌県に住んでいた。ゴンさんは北京団河労働教養所に不法に拘禁されたことある。明慧ネット2005年9月の大陸総合ニュースにより、2003年2月、ゴン坤さんは不法に団河労働教養所2大隊に拘禁されていたことがわかった。悪らつな警官・呉多智、秦福軍、趙穎波などは直接彼を迫害した。大法弟子ゴン坤さんは数年音信が途絶えている。内情者から情報を提供されることを求める。

 2、大法弟子・陸斎斎さんは沙洋労働教養所で行方不明に

 陸斎斎(40歳ほど)さんは武漢市の会社に勤務し、身長が170センチある。2004年最初の半年は沙洋労働教養所男隊3大隊に拘禁されていた。彼は大法を固く信じている。しかし、強制的に4ヶ月ほど洗脳を受け、正念と善念を保って対処したので、邪悪のほうに悟ってしまった「洗脳を手伝う」人たちは次々と目を覚まし、厳正声明を発表した。それを見た3大隊に不法に拘禁されていた大法弟子はみな励まされた。しかし、その後沙洋労働教養所で陸斎斎さんと会ったことがない。今までずっと行方不明である。

 3、山東莱陽の法輪功学習者4人は2001年北京へ陳情に行く途中行方不明に

 山東莱陽にある4名大法学習者は2001年北京へ陳情に行く途中に失跡した、彼たちは:住房銀行の丁レイ姉妹ふたり、莱陽電業局職員張江さん、魯洪江さんである。

 4、湖北黄岡孫標さんは1999年北京に行ってから失跡した

 孫標さん(1951年生)は、江甦省建湖に住んでいて、湖北省黄岡市第二水道局に電気技術師として勤務していた。1999年9月に行方不明になった。当時48歳だった。

 孫標さんは真面目で、いつも真剣で、文句を言うことなく一生懸命に働いてた。修煉する前、仕事の関係で、水の下で作業を行っていたため、酷い住血吸虫症を患い、入院をしても完治しなかった。94年に法輪功を修煉を始めてから、住血吸虫症は完治した。

 99年9月19日、孫標さんは北京へ法を正しに行った。その後の音信は途絶えている。

 当時、地元の派出所は孫標さんが北京に行ったのを知っていた。派出所は孫さんの会社に、孫蘇さんの妻・童巧英さんに5000元の罰金を科すよう命じ、北京から孫さんを連れ戻すと言いふらした。童巧英さんはお金がなかったので、やむを得ず2000元を借りて派出所に渡した。領収書はもらえず、北京へ孫標さんを連れ戻してもいない。童巧英さんは2006年1月に再婚した。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/4/4/124429.html