(明慧日本2024年10月26日)
②師父が私の体を浄化されたのは私に修煉させるためだ
以下はもう一人の学習者が彼女自身の法を得、修煉する経験を語ったものである。
私は脳血栓はじめ、数種の病気を患って半身不随に近い患者だった。5・6回病院に入院したことがあり、最先端の技術や機械を全部使った。西洋医学、漢方、マッサージ、気功などの療法を全部試したが健康にならなかった。
ちょうど私が生活に自信を失い、窮地に陥った1994年初めに、友人が一冊の『中国法輪功』と師父の説法録音テープを持ってきてくれた。しかもこの功法は非常にすばらしく、師父が半月後に大連に説法しに来られるので、参加するようにと私に勧めてくれた。その日の夜、私の夫は一気に『中国法輪功』を通読し、しきりにすばらしいと言った。私も読んだ後、清新な感じがして、今まで知らなかったことを教えられ、師父の伝授会に参加したかった。
1994年3月27日に法輪功伝授会が始まった。夫が私を背負って会場に入った。私は頭から足まで幾重もの服でぴったりと覆われて、寝椅子に横になって、体にコートを被せて、下に敷き布団を敷いており、一目で重病患者であることが誰でもわかった。師父の説法の始まる十分前に大連市気功協会の責任者がやってきて、切符代金の払い戻しを受けさせようとした。私は断った。夫は演壇に上がって楽屋に行って師父にあった。師父に簡単に私の情況を紹介したら、師父は「私は病気治療をしません」と言われた。夫は「われわれは病気治療に来たわけではなく、半月前に本を読み始め、録音を聞き始めた。われわれは法輪功を学びにきた」と説明した。師父は夫の話を聞かれて「この学習者は悟性が悪くないようですね、ちょっと会わせてください」と言われた。
師父が演壇から降りてきて私のところに来たとたん私はすぐに立つことができた。師父がちょっと座ってと言ってから私の首に一回強く平手打ちを、そしてもう一回軽く平手打ちをされた。その後、私の頭のてっぺんに強い平手打ちと軽い平手打ちをそれぞれ一回した後に私の両肩をきちんと整え始められた。終わったら、「立って歩いてみて」と言われたので私は歩き始め、演壇との中間まで進んだとき、師父が「ストップ」と言ってから私の両足をきちんと整え始めましたが、全過程で2分もかかりませんでした。師父が「オーケー、歩いてみてください」と言われた。私は演壇の前を二周回った。このとき、たくさんの学習者が起立って拍手を送った。座席に戻った後、後ろの数名の学習者が「あなたは本当に幸せですよ。私たちは師父について数箇所を回ったが、師父が誰かのために病気治療を行われるのを見たことがない」と教えてくれた。「私も夢にも思っていなかった。私は確かに幸運です」と感激しながら言った。説法が終わった後に、師父が「油をさしたように首が自由に回るようになったでしょう。」と親切に問いかけてくださった。私は「その通りです」と答えた。また、師父が私の夫に「最初の平手打ちは電撃を受けたかのような感覚があるはず。実は手術をしなくてもすんだのにそれほど苦しい目にあって大変ですね」と言われた。師父の言葉は非常に親しみを感じさせられる。
初日の伝授が終わった後、夫が私を背負って会場を出ようとしたが、私は自分で歩いてみたいと言った。私は歩き出すと、両足が非常に軽くなり、一人で会場を出た。家に着いた後、夫はまた3階の家まで私を背負っていくと言ったが、私は自分で上がりますと言った。結局、私は一人で3階まで上がった。翌日、私は自力で散歩することができるようになった。私の朝な夕な思い焦がれた願望がついに実現できた。長患いで数年間の病床生活を送った私が2分足らずで健康な人となった。常人は信じないかもしれませんが、この奇跡が私の身に起きました。
また、3ヶ月の法を学び、煉功を経て、二期目の伝授会が開催されたときに私はほかの学習者と一緒にバスで伝授会に行けるようになった。師父が「わたしはここで病気治療の話をしませんし、病気治療などもしません。しかし、本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません。しかし身体の浄化をしてあげるのは本当に法輪功を学びに来た人、本当に大法を学びに来た人だけに限ります。」(『転法輪』)と説かれた。この話を読むと、私は突然悟りが開き、人生は修煉し返本帰真を実現させるためのものであると分かった。師父が私の身体を浄化されたのは私に修煉させるためであるが、常人であり続けるためではない。偉大で慈悲なる師父は私を修煉の道に誘ってくださり、法輪大法の修煉者とさせてくださった。
二、大法があらわした素晴らしさは無数の人々の心をひきつけた
一人の学習者は大連一期目の法輪功伝授会で師父の説法を聞き、たくさん壮麗かつ素晴らしい光景を見た。当時、空いっぱいの神兵神将がおり、またたくさんの韋?菩薩のような護法神がおり、この学習者は非常に感激して喜び涙をこぼした。以下はこの学習者の思い出である。
尊師がわれわれに与えてくださるのは皆最も素晴らしいものである
尊師が説かれた法は奥深いだけでなく、非常に分かりやすかった。私はかつていくつかの経書を読んだことがあり、しかもいくつかの気功を練った事がある。しかし、法輪功ほど奥深い法理を聞いたことが無かった。たとえば、「真善忍」が宇宙の根本的な特性であり、法には定法なし、異なる次元に異なる法があり、生命の本源、心性の修煉と生命の境地の高まり等等の法理について私は聞いたことが無かった。他の功法では人間と人生を法輪功ほど明白に説明してなく、さらに生命と宇宙をこれほど深く解釈していなかった。師父の言葉はどれも天機であり、どれも天理であり、直接私の心の底まで打ち込まれた。こんな高徳な大法は他の気功や修煉と比べようも無いものである。
師父の説法を聞いて私の心が明るくなり、度量が大きくなり、生命が絶えず昇華していて、境地が絶えず高まっており、本当に素晴らしい功法である。私は大法の中で修煉する自信をも増強させた。ある日、師父のお供としてあるところを訪問したときに私は師父に「師父、実は私の家はここから遠くないのです。本来なら師父を家にお招きすべきですが、家が狭くてしかも汚いので、言わなかったのです。本当に申し訳ありませんでした」とお詫びしたが、師父は何も言わずに私を見ながら、一つの意念を私の心の底に打ち込むかのように「ここはどうしてあなたの家なのか?あなたの本当の家は非常に素晴らしいところですよ」と話された。私の心は突然明るくなり、私の未来の素晴らしい家が見えたかのようだった。
尊師と一緒にいるとき、私は子供のように何でも話す、何でも聞く。どんな問題であっても、尊師が必ず満足する答えを出してくださる。どんな難題に遭っても、師父が皆解決してくださる。尊師は知らないことが無く、できないことがなく、尊師と大法がわれわれに与えてくださるのは皆素晴らしいものであると深く感じ取った。
あっと言う間に数年が過ぎしばらく尊師にお会いしていないが、しかし、修煉の中でどんなことに遭っても、私は心の中で或いは尊師の写真に向かって依然として尊師に問いかけているが、尊師はいつも答えてくださる。魔難の前でも、尊師と大法を信じさえすれば乗り越えられない関や難はない。私はさらに尊師の洪大な慈悲と大法の無辺の法力を感じ取った。