日本明慧


万古に遭えない正法修煉の機縁を大切に

文/海外大法弟子

【明慧ネット2006年1月6日】尊敬する師父こんにちは、同修各位、皆さんこんにちは。

 師父が法を正される中で修練し、今日まで既に6年余りが過ぎました。この過程で、時には99年7月20日以前の個人修煉時期を思い出す事があります。その時は、私の状態はとても良く、全ての問題について内に向かって探し、例え魔難がやって来た時でも、常に心から嬉しく思い、テスト会場で問題に答えたかの様に、心の底から笑えました。それは私を高めると知っているからです、短い時間の中で、師父は様々な方法を用いて私に多くの事と法理を分からせてくれました、当時師父はクレーンで私を持ち上げ歩いていると感じ、常に多く知る事で、私はこんなに知って良いのか?と、あわてました。

 しかし今は以前の様に飛躍的に精進する感覚はほとんどありません。要求が異なったからです、正法修煉の中の基準が更に高くなり、難度も更に高いからです。過去の個人修煉の中で、私達は余り代償を払わずに、修煉の中で小さい関を突破し、師父は私達を向上させ、実際は全て法を得る過程でした。今は違います。法を実証する為、衆生を救い済度する為に代償を払い、しかも巨大な代償を払い、特に国内の大法弟子は、法を実証し衆生を救い済度するため、全てを切り捨て、生死を放下するまでの代償を払うのです、当然難度も個人修煉のときよりも更に高いのです。しかし私達が大切にしなければならないのは現在師父が私達に切り拓いて下さった正法修煉段階です。正常な情况の下での個人修煉は、過去にあり、私達の現在の正法修煉のように、天を開き、地を拓く事は今回のみで、今後二度とありません。師父は『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』の中で「将来、皆さん振り返って見てください。今誰も私が偉大であるとか、師父である私のどうこうを言う必要はなく、将来振り返ってみれば、私が行った全ては全部皆さんのために切り開いているのです」。師父は更に「皆さんは行うべきことをしっかりやりましょう。機縁は得難いのです!この全てを大切にしましょう。これは二度とないことです」と言われました。私達は更に現在の全てを大切にしなければなりません。

 それでは自分自身の正法修煉の中での体験を幾つか述べます、間違ったら皆さん指摘して下さい。

学法について

 師父は多くの場面で一度ならず、再三、私達に多く学法し、多く学法し、更に正法時期の学法の重要性を厳粛に告げて下さいました。しかし何時も自分がやる事を優先にして、毎日の学法が保証出来ず、それに学法の時気が散り、今現在やっている事が頭の中に現れ、静かに学法出来ず、数年前から、ずっと法を暗記しようと思っていましたが、当時少しだけ暗記して、忙しくなって止めてしまいました。最近多くの同修が法を暗記し始めたのを見て、私も法を暗記し始める事にしました。学法の際静かに出来ないなら、法を暗記した方が良い、進展は遅いが、効果は素晴らしい。法を暗記する際気が散る事は許されず、必ず集中力が必要です。さもなければ暗記出来ない、間違ってしまいます。こうして根本的に学法の際に心が静かに出来ない事と思想が集中出来ない問題を克服しました。

 師父が発表された経文及び新しい説法に対し、私は一気に十回以上読むことを自分に要求しています。ある段落を暗記する事さえ出来ます。こうして絶えず師父が法の中で私達への要求を深め、正法の進程について行く事です。師父の正法時期の説法と経文を良く学ぶ事は、私達の『轉法輪』に対する理解を深める事であり、数多く学法の中で突然、この言葉がこんなに大きな意味があると、全身が震えるのを感じます。師父の法の字と、段落は皆洪大無比です。学法の時、私は時々師父の洪大な法理に震撼します。

法を実証することについて

 2002年から、 私は新唐人TVの体育番組の準備から放送まで、僅か数カ月でしたが製作に関わりました。99%以上の人は皆白人です。資金、人数、技術、設備も不足の状況下で、僅か数年で、新唐人TVは成長しました。これは私達大法弟子が師の正法の進展の中で、又一つ創り上げた奇跡と言えましょう。

 最初番組を作る時、心の中は非常に複雑だった。私と番組司会者の同修は過去皆体育マニアだったので、私は小さい頃身体はあまり良くないが、各種の体育項目、球技、陸上、水泳等はみなできます。多くの有名な体育選手も把握しており、私にこの番組を担当させてくれて本当に上手い按排だと思いました。例えTV関係のことをやった事がないにしても、番組が速く出来上がり、皆さんも好いと言ってくれました。

 一つの番組は、たまに一回、或いは数カ月、半年一年ならまだよいのですが、時間が長くなると、多くの問題が出始めました。法を実証する中、多くの大法弟子が皆いくつかの職を兼任しており、体育番組は大法の真相番組ではなく、完全に常人の番組です。だから法会或いは其の他の大法活動の際は、きられていまい、或いは他の番組に譲ってしまうことになります。それに人手は元々不足しており、体育競技はほとんど週末に行われ、前もって作る事も出来ません。こうなると、私の圧力が大きくなります。番組は一度も欠けてはならず、私が番組を作りあげて同修の地下室を離れた時は、常に路上は出勤のラッシュでした。

 あっという間の4年が経ち、200あまりの番組の中で、あらゆる原因によって数回作らなかった以外は、基本的には作り上げました。まだ一段と道を歩まなければなりませんが、最も困難な時期は既に過ぎ、更に今年は同修が私達の製作に加入したので、今後の番組を更によりよく作り上げる自信があります。

 TV番組制作の中で、私は常に問題に遭遇します。その中でどの様に自分を修めるかということです。数年の製作過程の中で、私は時々意外な事に遭い、時に番組は放映できず、時に番組の画像の品質に問題が表れ、時に、天気の原因により、衛星受信機が信号を受け取れず、番組のダウンロードが出来ない状況にあった際、全てを特殊な処理を行う事が必要です。番組の正常な放送を確保する為、時には同修にデータベースからネットへ番組を送ってもらう必要があります。ある時には、番組のダウンロードを手伝ってもらう事もあります。この時は、皆緊急で、多くの同修が皆手中の仕事を放下して私の手伝いをしてくれ、段々と私は自分の不足を見つけました。

 私は助けが必要な時、時々自分を中心に考え、自分の番組は遅れてはならない、自分の番組が重要だから助けが必要だ、どうだこうだと、全ては、「我」という字に囲まれていました。しかし他人が私の助けを必要とする際、私は時々忙しいという理由で押し返し、当然時には本当に忙しいのですが、真に忙しいにせよ、他人の助けもやろうと思えば出来ます。今の大法弟子で誰が忙しくないでしょうか? 皆忙しく法を実証する事をやっています。誰かの事が出来ていなければ、皆全体の損失です、しかも忙しい過程の中で、先ず他人を助ける、これこそが私達が修煉の中で更なる高い境地に達することではありませんか!

 どんな状況下でも、先ず他人を考えることです。これこそ師父が私達に修煉の中で到達させる基準であり、私はどんな事を行う時でも、出来るだけ他人のことを考え、スピーチの原稿を書く時、私は長い時間をかけて語句の長短を画面と合わせます。更に出来るだけ言いづらい言葉を避けます。そのことは後の同修の仕事量を減らす事につながりました。

家庭で真相を伝える体験

 ここ数年の真相伝えを通じ、私は真相を伝える事は自分を修める課程であると実感しました、師父は『転法輪』の第八講の中に「行脚は非常につらいことで、社会の中を放浪し、乞食をしながら、いろいろな人に出あい、嘲笑を受けたり、ののしられたり、いじめられたりして、どのようなことにも遭遇する可能性があるのです。彼は自分を煉功者と見なして、人との関係を正しく処理し、心性を守って、たえず心性を向上させ、常人のいろいろな利益の誘惑にも心動じることなく、長い歳月を経て行脚から帰ってきました」 とあります。師父は現在私達に真相を伝えさせるという事は、これも一種の「行脚」であり、私達の現在の「行脚」は高級であり、更なる素晴らしい「行脚」です。というのは真相を伝える中、私達は衆生を救い、同時に修煉によって自分を昇華し、真相を伝える際にいろんな人と出会い、いろんな執着がありますが、その執着が向かってきます。様々な方法を利用し「心を動じさせ」、自分を修めず、それ程の確実な修煉基礎が無ければ常人に同化される事が無いはずはありません。

 真相を伝え始めたときは、主にネットチャートで行い、当時は迫害が開始されたばかりで、自分の学法も足りず、常人から出された質問に中々上手く答えられず、数多く自己でも困惑しました。しかも時々常人と口論しました。絶えず学法を通じ、真相を伝える心情も平静になり、段々と常人がどんなに激しても、私は動じず、常人の問いかけも気にならず、その反対に、彼等の問題に全て答えられました。時に彼等の問題に答える時、正に一気に答えられ、書き出せば自分でも驚いてしまいます。師父は私に智慧を下さっていると知っています。多くの常人は私を指名して彼等の問題に答えさせ、彼等と討論させ、満足な答えを得た時、私に感謝し、私が真の修煉弟子だと言ってくれました。私もネットを利用して真相を伝える機会に絶えず経験を生かし、多くの問題を文章にして整理し明慧で発表しています。

 ネットで真相を伝え、既に自在と感じていましたが、しかし家では中々突破出来ず、私の家では私一人しか修練しておらず、いくら彼等に真相を伝えても、効果は良くありません。最近、妻は高血圧になり、常に目眩がして、時には非常に重く、ある時降圧薬を飲んで下がり過ぎた為、救急車でオフィスから病院へ運ばれ、私はあらゆる方法をもって彼女に伝え、その後この種の問題に出遭う時、 「法輪大法が好い」 と繰り返し読むようにと告げました。毎回私と口論しますが、出来るだけ心を動じず、反復して彼女に伝え、やっとある日、彼女は私に、昼食の際、強く目眩がして、結局彼女は 「法輪大法が好い」と反復しました。私は聞いて、彼女はいくら口論しても、彼女の解っている面では救い済度を願っていると、すぐわかりました。だから私は全ての機会を逃さず、繰り返し彼女に伝え、彼女に退団を勧めるのもこの様にして、数回繰り返した後、最後に彼女は同意しました。

 真相を伝える過程の中で、一つの願いがあります。それはキリスト教徒に真相を伝える事です。アメリカでは教会があり、多くの人が信仰しており、アメリカに来た中国人の中にも、多くのキリスト教徒がいます、私の友人の中にもキリスト教徒が多くいます。彼等との接触を通じ、私は発見しましたが、彼等の多くは神や教えを信じておらず、教会へ行くのを社交とみなしています。この団体の中には一部、信仰する者がおり、他の社会団体に比べると多少良く、利益と其の他の矛盾衝突が多少少ないのです。しかし真の修煉と返本帰真とはかけ離れています。この特殊な人たちを見ると、これらのキリスト教徒に真相を伝えたくなります。最初は穏やかに伝え、有る時キリスト教の話をしました。私は彼女に問い掛けました。「貴方は本当に天国にいけると思います?」彼女は「当然です、私達は神を信じていれば天国に行けます」と言った。私はまた問い掛けました。「ならばどうして神は貴方を天国に連れていかないのですか、考えて御覧なさい、神は宇宙を造り人を造った。非常に小さく微生物の様な人を、貴方を天国に連れて行くのはたやすい事です、何の力もいりません。神はどうしてそれを行われないのですか? ここで生老病死し、事故に遭ったり、誰かに騙されたり(これは最近彼の家で起きた二件の出来事です)、苦しみ続けるのです。今貴方を天国に連れて行き幸せな暮らしをさせた方が良いではないですか!」というと、彼は私を見て、しばらく話しませんでした。

 更に「実は天国に入るには基準があり、決して神を信じているからと言って、行けるとは限りません。それは貴方がどの様に信じるかを見て、真に神を信じ、貴方の言行が必ず一致し、必ず聖書に書かれている様に行わなければなりません。例えて言えば、他人が貴方の左頬を殴ったら、貴方は右頬を出して相手に殴らせる事が真に出来ますか? 貴方の教会で何人このことが出来ますか?」というと、彼女は「私から見れば一人も出来ません」と言いました。

 続けて彼女に「天国は神聖で素晴らしい所です。その中の生命は人の罪はありません。人の様な私利私欲が無く、人の貪欲無比の心もありません。その中の生命は、イエスの様に人を救う為なら生命をなくしても坦然不動です。貴方がそこに行きたいなら、貴方もその様な基準に達しなければなりません。貴方もその様な神聖さに変わる事で、貴方はそこに行けるのです」と伝えました。私は彼女に多くの道理を話し、彼女は聞きながら「貴方の言っている事は本当に正しい、貴方は私達の教会に来て話すべきです」と言いました。

 数年来様々な人に真相を伝える事を通じ、現在『九評』が私達に真相を伝え、世の人々を救い済度する為に大きな舞台を切り拓いてくれました。『九評』は、真相伝えに力を発揮する場所となり、今は正に真相を伝え、衆生を救い済度する絶好の機会だと感じました。

発正念について

 長い間、常に一つの現象が現れます、それは頭の中で突然過去によく知っている、或いは好きで歌っていた悪党の歌です。つられてしばらく歌った後、やっと、私は何で悪党の歌を歌っているのだ? と気づき、しかし、しばらく時間が経つとまた同じ事が発生します。しかも絶えずこの様になり、これは正に私の体の中の悪党の毒素をまだ綺麗に取除いていない証拠です。時々出て来て私を邪魔し、絶えずこれを取除く事が必要です。時間が経つに連れ、情况が段々と好転し、今ではその念が出ると、すぐに悪党の歌と認識出来、そして抑制し取り除く事が出来ます。

 最後に、私は言いたい。 私達大法弟子は本当に幸運無比です。師父は正法の中で私たちを選ばれました。慈悲で偉大なる師父はこの無辺の大法を造り、無量の宇宙大穹を造り、ミクロからマクロまで一切を造り、しかしご自分は何も必要とされません。私達は師の正法を助ける中で、大法に同化すべきです、自分のものは一点も無く、何も求めず、何も要らず、無私無我、一切は法の為、一切は衆生の為です。

師父に感謝します、皆さんに感謝します!

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/1/6/118052.html