神の道を歩む(三)
文/大陸法輪功学習者
【明慧ネット2005年11月11日】
三 良く学法し、正念で邪悪の按排を否定
邪悪の迫害により、私は2001年にしかたなく郷里を離れて、ほかの都市へ来た。 師父の経文『師父からロシア第二回大法法会へ』が発表された後、私は一晩この経文を読んだ。翌日、私はもう一人の同修と共に資料を綴じながら、また半日読んだ。すると法の内涵が突然私に現われてきた。言葉では表現する方法がなく、豁然として私は多くのことが分った。当地区でいかに全体を形成すべきか、自分が背負うべき責任はなにか、現在いかに行うべきか、誰を探せばよいかまで悟った。
翌日、私はその同修を探し当てた。彼女はすでに全体的な仕事をしていて、しかもとてもよく出来ており、ちょうど人手も足りない情況だった。こうして私はまた協調の仕事をやり始めた。始めの一時期、私たちは比較的よくやっていて、協力もよくできていた。特に当地のある主要な協調者は、当地区の十数県を歩き回り、学習者らと交流し合って、多くの学習者を表に出るようにさせた。私たちは二つの大きな資料点で資料を供給し、離散して落ちつく所のない30数人が資料を大法のウェブサイトよりダウンロードして、資料を印刷し、資料を手渡す仕事をしていた。初めの一時期私たちの協力はとてもよかった。私たち数人の協調者はみな学法、発正念を重視し、毎朝とても早く起きて、1時間から2時間くらい発正念し、仕事は大変順調に運んでいた。しかしその後、どんどん気が合わなくなっていることに気づいた。学習者の間に隔たりができ、トラブルは複雑になり、しかも私のところに集中していることが比較的多かった。自分で何回も自分に向けて探したが、一部の問題は解決できず、乗り越えることが出来なかった。師父は何回も私に両親の家に住まないようにとヒントを与えられたが、私は悟らなかった。そして2002年に邪悪により両親の家で連行された。一カ月後正念を持って脱出した。
今回の教訓を纏めると、環境がゆったりしたので、自分の意識しない間に気が緩み、また当時の私にとって、一つ取って代われないもの、或いは自分の修煉基礎、修煉状態では、全体的に自分の果たすべき責任を引き受けられず、自分がついてゆけなくなった。このことが問題の表れた本質的な原因であった。表面上では気を緩めておらず、どれも怠けていなかったが、実際私は一つの境界で徘徊していた。師父は「以前、多くの人は心性を守りきれないことでさまざまな問題が生じて、ある次元まで煉ってきたのにそれ以上、向上することがなかなかできませんでした。ある人はもとから心性が高いので、煉功の途中で天目がパッと開いて、ある程度の高い境地に到達しました。この人は根基が比較的よく、心性がきわめて高いので、功の伸びも速いのです。彼の心性の位置に功が到達したあと、功をさらに伸ばそうとする時には人とのあつれきやトラブルもきわだってきますので、さらに心性を高めてゆかなければなりません。特に根基の良い人の場合、自分の功は調子よく伸びて順調に煉ることができていたのに、どういうわけで突然、厄介なことがこんなに多くなってきたのだろうか? と思うことがあります。まわりの人に親切にしてもらえなくなったし、上司から嫌われるようになったし、家族との関係も悪化してしまった。どうして突然、こんなに多くのトラブルが生じてくるのだろうか? 彼自身、まだ悟ろうとしないのです。彼は根基が良いため、ある次元に到達するとこのような状態が現れました。しかし、どうしてこれが修煉者の最終的に圓満成就する際の基準だと言えましょうか? 上へ向かって修めるにはまだまだ先は遠いのです!あなたは引きつづきご自分を高めなければならないわけです。それは自らが持っている根基が作用したからこそ、そういう状態に到達したのであって、それ以上、向上しようとするならば、基準もさらに上げなければならないのです」(『転法輪』)と教えられた。問題の所在が分ったが、どうやって自分を向上すべきかわからず、私は法の暗記を始めた。『転法輪』を一回暗記すると、私の心はとても大きく打たれた。しかし一部の問題はやはり悟れなかった。当時私はとても苦しく、冗談で私が奇門功法のように比較的「ばか」のように修煉するという学習者もいた。しかし私はこれが私の修煉の中で一つ、大きな災難であると感じ、解決しないと、暫くの間私はやはり乗り越えられないと思った。
ちょうどこの時私は比較的学法の方面で精進する2人の古い学習者に出会った。彼らが私に与えた影響はとても大きく、特にどうして学法するかについて、新たな突破ができた。彼らと共に学法し、交流することを通じて、私は学法、法を認識する観念を排除し、この方面での不足を補充できるようになった。振り返って、過去を考えてみると、ずっと自分が学法を重視していると考えていたが、実はまた多くの観念に遮られていた。私たちは法を正す時期の大法弟子で、「最も偉大な法が造成した生命です」。今日まで歩いてこられたのは、師父とこの法に頼っていたのではないか? 師父は私たちを助けるすべてをこの法に入れられている。この法から私たちはなんでも得ることができる。これらを知っても、実はまだ本当に分かっていなかった。今になってみると、学法を重視することはまだ足りず、観念に遮られていた。
これらの観念を排除すると、学法は以前と完全に異なってきた。あの時私は本当に一直線に上昇していると感じた。毎日学法で多くの次元を突破できた。私は、学法の中で、境界があの層に達すると、あの層の旧勢力の按排を排除することができ、法を実証し、衆生を救い済度することが順調になり、周りの邪魔も少なくなると体得した。私たちが学法して、あの次元を突破できないと、表面的にいくら心を込め、どれだけの心血をそそいだとしても、まだ元の次元で回っているだけで、まるで常人が仕事をするのと同じである。学法の中で、私たちは絶えず法理が分かり、絶えず自分の古い観念を排除し、旧宇宙の要素を洗い出すと、内に向かって探す機制も強烈に作用を果たし、法理をもって自分の言行を照らすことができ、自分を純正にさせることもできる。従って、学法も着実に修煉することであり、内に向かって探すことも含め、自分を修正し、衆生を救い済度することをも含む。
どうして学法すべきかについて絶えず明確になるに従って、私の学法を妨げる一層一層のなぞを絶えず突破することにもなり、私は法を暗記し始めた。師父のすべての経文と説法を暗記した。観念の妨げがなかったので、師父の説法が発表されるとすぐ、自分の主体のあれらの生命は法に対して切に求め、彼らはみな慌てて暗記しようとした。法を暗記するのが目的ではなく、法を暗記する過程で、最も重要なのは私が心を込めて、法に同化することである。本当に一つ一つの細胞が揺り動かされているという感覚があり、自分と法との距離が更に近くなった感じがし、師父の弟子に対する慈悲を体得し、法を正すなかで、随時に法から離れた自分の思想行為を是正することができ、異なる次元での異なる法理が見え、一つの説法を暗記し終わる度に、心はとても大きな変化を感じた。私が時期ごとに旧勢力の按排を否定し、法を実証することに対して、当地区の法を実証する協調の仕事を良く行うよう指導し、重大な作用を果たした。
2002年に、当地区のテレビ割り込み放映の参加者と全体に対する邪悪の狂ったような迫害に直面して、このいまだかつてない損失に直面して、すべての連絡はすべて中断したが、私たちは気落ちしたり、消沈したりせず、更に責任の重大さを感じた。理性的に思惟し、迫害が発生した原因について分析した。これは人間が私たちにもたらした面倒ではなく、他の空間の異なる次元の変異した生命、ひいては更に微視的な邪悪な要素からきたものである。また、これは私達自身の問題でもある。最も主要なのは学法がまだ少なく、学法に対して重視せず、学法が異なる次元で私たちに対する異なる要求に達していない。それでは、これが他の空間の邪悪な生命の迫害である以上、わたし達の心性の次元も表面上見られるものではなく、他の空間でも反映される。旧勢力のすべての按排を全般的に否定するには、私たちは自分の修正、向上から着手し、他の空間からやり始め、微視上で形成し、微視上で自分を変え、多く学法し、大法に同化して、自分の内在の厖大な宇宙体系が根本的に本質の変化を発生させ、絶えず微視から表面まで突破し、元来の旧宇宙のすべての要素を更新し、異なる次元での法の私たちに対する異なる要求に達してこそ、異なる次元でその次元の旧勢力の按排を取り除き、異なる次元での自分の体系とそれと相応する多くの衆生を救い済度できるので、私達の向上が第一位である。あなたがあの次元の法に同化しないと、あなたはその次元の謎を破れなくなり、その次元の理が見えず、その次元の真相も見えない。私たちはよく学法してこそ初めて、異なる次元で旧勢力の按排した迷いと障害を排除し、異なる次元の衆生を救い済度し、実践の中で、異なる次元が私たちに賦与した智慧と威力を現し、異なる次元で法を実証することになる。人間世界には必ず大変不思議な表れと時機が熟すれば事は自然に成就する結果が生じる。
当時の邪悪の極めて凶暴な状態に直面し、資料点は麻痺状態に陥り、回線はすべて中断し、私たちにはなにも残ってない事態となり、私たちは微視から着手し、他の空間からやり始めた。それは如何なる生命や事物でもすべて微視からその表面を形成し、微視粒子により絶えず大粒子を合成し、大粒子はさらにより大きな粒子を合成し、ひいては分子、人間の空間生命、物質や事物を形成するからである。私たちは学法を良くし、内に向けて探して、自分を純正にすると同時に、発正念を重要視し、大法が私たちに賦与した神通を利用して、他の空間で当地のすべての大法弟子の神の一面と絶えず疎通させ、当地区の他の空間で大法を迫害しているすべての邪悪を皆一緒に取り除き、私達のすでに修められた一面が資料点を作り上げるよう促した。連絡が中断した大法弟子とは連絡をとり、私たちは私たちがやるべきことを行った。こうするとすべては師父の按排の中に入るようになった。人間社会に多くの不思議な現象が現われ、比較的短い時間内に、資料点が出来上がっただけでなく、邪悪の大法弟子に対する逮捕、迫害、洗脳班、写真展などの按排を取り除いた。
あれ以降、私たちは全体的にみな学法を重要視し、全地区はこの2年間相当安定している。
2004、2005年に全体的に2回迫害があった。原因は多方面であって、個人であろうと、この全体であろうと、最も主要なのは学法と自分自身を修正することを疎かにしたからである。歩いてきた路を振り返ると、正しい路を歩んだときは、時々刻々法に則っていた。すべては法により形成し、すべては法が作り出し、私達の生命、私達の向上、私達の正念、私達の智慧、私達が得た成功、すべては法からきたのである。どうしてこれらの理が分り、それほど多くの魔難を乗り越えてきたのにまた転ぶのか? 私は、先ずは人間が修めているため、異なる時期にまた人心が現れ、また各種の観念に邪魔され、少し気を抜くと、邪悪に利用されるので、どうやって常に正念を保つことができるかが肝心であると思う。その次はまた要求が高くなり、神に近づくと、基準もさらに高くなり、最後になればなるほど、精進すべきであり、さらに学法を重要視すべきで、自分に厳しく要求し、修煉の本質をしっかりと掴み、「常人の認識を根底から変え」(『論語』)、自分自身を不動にすることができ、正しい信念が動揺しなければ、最後には人間から脱出することができ、大法が造成した偉大な神になる。
(第2回大陸大法弟子の修煉体験書面交流大会の交流文章)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/11/11/114041.html)
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