日本明慧


河北省ライ水県明義郷での大法学習者に対する迫害

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2006年4月10日】2000年の春、河北省ライ水県の明義郷では大法学習者に対する迫害がかなり酷いものだった。彼らは北京へ陳情に行く大法学習者を不法に拉致し、又家にいる大法学習者まで拉致して、30人を超える大法学習者を郷政府の法廷で不法な取り調べを行い、不法に拘禁した。

 2000年4月、私は小麦に農薬をまき終えて帰る途中、劉増傑や李維志などに不法に郷政府まで誘拐され、不法に28日間拘禁されました。毎日、強制的に法を中傷する新聞や宣伝を読まされる、汚い仕事をさせられる、長時間立たされる、走らされるなどの罰を与えられた。夜は不法に尋問を受けていました。李維志、且暁月、李煥雨らに殴られた為、背中や臀部など体中紫色になり、又「教育」を受けた後の体得を書くように強いられ、更にトイレ、食事、睡眠など全てを監視されたので私の体の自由は極度に制限されていました。最後には証拠も無いまま500元の罰金を取られ、更に1000元の借用証書を書いた後、ようやく家に戻ることが出来ました。そして、家族を恐喝して、私を監視するように脅迫しました。

 2000年、明義郷派出所の霍紅雷、李部長は、毎日家に来て掻き乱しており、更に私の実家までも掻き乱し、恐喝しました。そして、2001年の夏季、劉増傑、李維志、霍紅雷、李部長らは家に来て不法な家宅捜査を行いました。 

 明義郷の悪党政府の万術軍は用心棒数人を連れて、手には長い棒を持ち、大法学習者を探していると言いながら、大法学習者の家を襲撃し、大法学習者の家の大きな鉄の門をめちゃくちゃに叩き壊し、窓ガラスを割り、お米や小麦粉、綿、落花生の種、掛け布団、自転車等の財産を奪い去って行ったので、家に親がいない子供は飢え凍え、又学校が遠い子供達は自転車がなくて、学校へ行けなくなり、お年寄りは脅されたことで病床についてしまいました。更に、凶悪な警官は大法弟子の家の羊を追い出し、生まれて間もない小ブタを投げて死なせ、持って行きたくない卵は投げて潰しました。大法学習者の家は襲撃されてめちゃくちゃになってしまったのです。

 不法に明義郷の政府に監禁されている大法学習者は、お年寄りから子供までおり、子供を抱いている人、小麦にまく農薬箱を(畑から拉致された)背負っている人もいた。彼らは明義郷政府の最後の一つの隠れ部屋で、大法学習者に対して酷く殴っている。

 次はある大法学習者が迫害の経過を供述したものです。

 私がその部屋に入って見たのは、手に棒を持った人の群れでした。彼らは私をひざまずかせ、両手を挙げさせてから、私の手に1本の棒を横向きに置き、2人の用心棒が棒で私が挙げている棒を力いっぱい叩いたので、私の親指と人差し指の間は激しい痛みに襲われました。又、彼らは塩水を侵した縄で私の顔を殴り、縄の塩水が殴れたときに出来た傷に染みこみ、激しい痛みが走り、顔全体が腫れ上がり、血と汗が混ざったものが止まることなく流れ出しました。そして、彼らは私の身体に冷たい冷水を掛けました。

 他の大法学習者もその部屋に入れられ、男性も女性も関係なく全て上着を脱がし、塩水に侵した縄で殴りました。張震這は殴られたばかりの大法学習者を引っ張り出して再びベルトで殴りました。数人の悪人が、順番に大法学習者を引っ張り出しては頬を殴り、身長が180センチを超える万術軍は「あなた達の頬が硬いか、私の拳が硬いか試してみようか。」と叫びながら、大法学習者の髪の毛をつかみ、革靴を履いた足で力いっぱい踏みつけたり、蹴ったりしました。倒れると引き起こして顔を殴り又蹴ったり踏んだりしました。そして、大法学習者は殴られて両耳の聴覚を失っていました。

 ある日の晩、郷里の悪党の全てが残されて、また私達は一人ひとり呼び出され殴られました。劉冬傑は殴りながら「どうしてあなた達を殴るのか分かるか。それは、あなた達がお金を持ってこないからだ。(大法学習者1人につき、1000元ずつお金を払うべきだと叫ぶが私達は払わない。私達は間違っていない)もしもお金を払ったなら、とっくにあなた達を家に帰らせていた。お金を持ってないなら殴り続ける。お金を持って来るまで止めない。」と言った。 

ライ水県の明義の郷の派出所の凶悪な者:
李慶紅、張震、霍紅雷、李部長、劉増傑、李維志、且暁月、李煥雨

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/10/124860.html