日本明慧
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【明慧ネット2006年4月15日】2006年4月12日の午前9時過ぎ、王建国さんの家族11人は吉林市第1留置場の所長オフィスを訪れ、副所長の叢茂華に「来るときまだ元気だった人がどうして、この数日間に死んでしまったのか?」と聞いた。叢は「王建国は断食したため、栄養不良となって死んだ」と答えた。王さんの家族は「それは不可能だ。栄養不良で死に至ることはありえない。建国の死に対してあなた達は全部責任を負わなければならない」と言った。叢茂華は「それはできない。王建国は正常に死亡したのであり、留置場はいかなる責任も負わない。しかし私たちは検討することはできる。火葬の場合、私たちは火葬費用を負担できるが、その他はだめだ」と言った。
吉林市の法輪功学習者・王建国さん、趙秋梅さん夫婦は2006年3月2日に譚新強をはじめとする船営区南京派出所の警官に連行された。たった1ヶ月と9日の間に、まだ30歳の王建国さんは吉林市第1留置場で拘禁されている間に迫害され死亡した。王さんが死亡する前、王さんの妻・趙秋梅さんは再び長春黒嘴子女子強制労働収容所第5大隊にハイジャックされ迫害された。 王さんの家族は4月12日、留置場の副所長・叢茂華に関連する責任者の名前を聞いた。誰が強制的に灌食を行ったか、誰が最後に王さんを尋問したか、留置場の医者は誰かなど。また「教えなければ、ずっとあなたを探すしかない」と言った。この情況下で叢茂華は関連責任者の名前を教えてくれた。王さんの家族は案件が終わるまで死体を動かさないことと死体検査を要求した。叢は「よい」と答え、「しかし一点、もし検査で問題が見つかったら、死体検査の費用は私たちが負担するが、そうでなければあなた達が責任を取りなさい」と言った。そして王さんの家族は死体検査センターに行った。 死体検査センターで、王建国さんの後頭部はでこぼこで、左腕に傷跡があり、顔の左側に傷があり、その上に厚い血の傷痕があることに気づいた。背中、腰の上の部分は紫がかった濃赤色で、下半身は皮膚の元の色だった(死体検査センターの人は、これは凍ってできたと言った)。 王建国さんは死亡後、吉林市第222病院に運ばれた。当時、担当医者の書いた急診カルテには、「患者はすでに呼吸、胸の心拍が停止している。脈拍が消えていて、瞳孔は右が8-10mm、左が4mmで光に対する反応は消失、心拍はなし。緊急措置情況:来診時すでに死亡。初歩的な診断:1、栄養不良。2、呼吸の循環は衰弱。留置場の所長に聞いたところ頭のCT検査は行わない」と書かれていた。 医学理論から見ると、人体の短期的な栄養不良は死亡には至らない。しかも王健国さんは断続的な断食であったし、また留置場は強制的に食物注入を毎日続けたので、叢茂華が言った、王建国さんは栄養不良のため死亡したという説は成立しない。また責任を負わないという言葉もある。王建国さんは普段からとても健康で、以前は武術を練ったこともあり、肺と呼吸の循環システムは滞りなく通じていた。留置場で断食、強制的な食物注入の間に突然呼吸器官が衰弱し、死亡したのは、明らかに留置場で王建国さんに対して強制的に食物注入を行う過程で、人道と医者としてのモラルから生命を救援したのではなく、断食で平和的に抗議する人に対して復讐的な虐待を行い、人間の生命に対して後の結果にこだわらず陥れ、強制的に食物注入する時に管を間違って気管に入れ、流動食が気管に入り込み、呼吸停止を招き、肺が感染され、呼吸道の機能が衰弱して死亡したことを示している。
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