日本明慧
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【明慧ネット2006年3月6日】江蘇省常州市大法学習者呉殿輝さんは、邪悪によって大法(法輪大法)と大法学習者に対する狂暴な迫害を6年以上遭って、2006年2月11日冤罪を晴らせないままこの世を去った。常州市公安局は呉殿輝さんの死亡に対し醜い心を抱き、情報を封鎖する為、上海市の悪らつな警官と結託し、非法にも呉殿輝さんの生前の同級生が常州へ行き悲しみに暮れている妻子と両親を訪ねることを阻止した。 呉殿輝さん(34歳男性)は、山東省寧陽県の出身。1999年華東師範大学の地理教育研究生卒業後、高学歴者として元常州師範(2003年には常州工学院へ入り)にて勤務。呉殿輝さん夫婦は大法の修煉を堅持していた。99年7月悪党江沢民が法輪大法を迫害し始めた後、元常州師範学校の校長李敏敏は人間性を失い積極的に迫害に加担したため、呉殿輝夫婦は直に迫害の対象になった。 6年余りの残酷な迫害を経て、呉殿輝さんの家庭の経済は底を尽き、その妻は5才の息子と経済力のない姑を連れ苦しい日々を暮らしていた。呉殿輝さんが迫害にて死亡したこと及び法に基づく問題上において、常州工学院の幹部は曖昧な態度を保っている。常州工学院の関係幹部は更に密かに、学校の同僚は独自に呉殿輝さんの遺族を訪ねてはならないと按排している。 1999 年10月、呉殿輝さん夫婦と同僚の一人は天安門広場において、悪らつな警官にパトカーに乗せられ、カーテンを閉めて殴る蹴るの暴行に遭った。常州市公安局へ移管された後、三人はしばらくして邪悪な洗脳班へ送られたが、その間、悪人は呉殿輝さんに一つ姿勢“馬歩”を保持させ、全てのものに触れさせず三日三晩苦痛を与えた。洗脳班での費用は全部自己負担とされ、しかも食事では肉を一切食べさせなかった。その後、高学歴として招き入れられた呉殿輝さんは総務部に転属され、木を切り、便所掃除、ゴミ拾いの仕事をさせられ、妻は印刷の仕事をさせられた(生理と哺乳期も例外では無い)。李敏敏はまた人材雇用協議に反し、呉殿輝さんの人事関係を上へ報告せず、且、人材雇用協議の家購入補助金10万元を支払わなかった。 2000年初から、李敏敏は非法にも呉殿輝さん夫婦の労働権利を奪い、経済の源を失わせた。様々な不公平な待遇により、仕方なく呉殿輝さん夫婦は上申局へ手紙を送った。上申局の結果は、常州市公安局の呉殿輝さんに対する非法拘留だった(妻は妊婦の為助かった)。拘留所を出所後、呉殿輝さんと妻は李敏敏等によって拉致され常州市解放軍一〇二精神病医院に非法拘置され、その間、妊娠五ヶ月余りの妻はベッドに縛られ強行に注射され、薬を飲まされた。 2000年7月初め、呉殿輝さんは手に数冊の大法書籍を持って公園を歩いていたところ、常州市公安局に非法拘留されたが、息子を出産する約一ヶ月前にやっと釈放された。常州市公安局は呉殿輝さんの家主に、彼等夫婦に借家してはならないと強要した。長期に渡り、李敏敏は校門の警備員に、呉殿輝さん夫婦に対し24時間の監視を命令し、子供の出産の時でさえ、産婦人科医院での監視から逃れる事は無かった。子供が出産して50日と半年の時、呉殿輝さん夫婦が山東の実家を往復した際、それぞれ常州市の悪らつな警官と山東の悪らつな警察官に不法に捕らえられ、両親と一緒にパトカーに乗せられたが、半年の子供の頭部と足が山東の悪らつな警官の車のドアに挟まれ皮が剥けた。 2001年5月1日、呉殿輝さんが上海の同級生の家から帰る際、またしても李敏敏の仲間の翠竹派出所によって非法に拉致され江蘇省大?市方?農場厳管隊に送られ、 2年間の労働教養の迫害を受けた。労働教養所にいる間、電撃棒の電撃によって呉殿輝さんの皮膚が焼かれた。看守らは呉殿輝さんを昼間は重労働させ、夜は寝かせず、身動きできない拷問の小部屋に入れ、吊るし上げ、他の労働教養人員に指図して殴打させた。このような事を頻繁にやられ、心身に極度の傷害を受けた。2003年元旦、呉殿輝さんは釈放された数日後、身体に不具合が現れ、三年間の病痛の後、2006年2月11日冤罪を晴らせないままこの世を去った。だが1999年7.20以前は、呉殿輝さんの身体は非常に健康であり、華東師範大学研究生の期間中三度献血し、上海市旅行番組委員会主催のマラソン大会に参加し二十一位、更には骨髄のドナーにも登録している。 現在、常州市610オフィスは未だに労働教養所を出た人を利用して、洗脳班にて大法学習者を迫害している。常州地区にて迫害致死された大法学習者は呉殿輝さんの他、今解っている人は、周?玲さん、王玉琴さん、そして廖琴英さんです(音読み)。
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(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/3/30/71355.html) |