日本明慧


邱秀珍さんは不法に8年の判決を受け、夫は迫害されて死亡

 【明慧ネット2006年4月13日】四川省成都市の大法学習者邱秀珍さんは、2003年8月15日に悪辣な警官に連行され、不法に8年の判決を受けた。邱秀珍さんの夫の甘茂永さんは仕方なく路頭に迷い、2004年初ごろに冤罪が晴れないまま死亡した。60歳の邱秀珍さんは簡陽養馬河女子刑務所で拘禁されて迫害されている。

 2003年8月15日午前、金牛区洞子口派出所、成都市金牛区公安局などの数人がパトカーに乗って、邱秀珍さんの家に行き、ノックしたが、開けてもらえなかったため、隣に住んでいる人を呼んできて、ノックさせ、消防設備の検査だと嘘をついた。邱秀珍さんがドアを開けた瞬間、警官らが一気になだれ込んできた。邱秀珍さんがどなたですかと聞いたら、彼らは邱秀珍を逮捕しに来たと言った。邱秀珍さんは彼らに逮捕状を求めたが、彼らに押し倒され、汚い手袋で口を塞がれた。

 邱秀珍さんは抵抗したが、めった打ちされ、目も口も殴られた。これらの悪者達はドアを壊した後、タンスを無理に開けて、現金と通帳等の一部それにテレビ、パソコン、コピー機を奪った。その後、邱秀珍さんは派出所へ不法に連行された。

 家族は派出所へ行き、邱秀珍さんが殴られて、顔が変形してしまったのを見て、派出所の所長に聞いた:なぜ人を殴るか?最初、彼らは殴ってないと答えたが、家族がさらに聞くと、警察官らは殴るのは当たり前のように答えた。当日の夜、邱秀珍さんは成都市留置場に不法に拘禁された。

 邱秀珍さんは連行されて迫害されたため、甘茂永さんは路頭に迷い、家があっても帰れなくなった。悪らつな警官は甘茂永さんを探すため、甘茂永さんの親族、友達を脅し、「告発」するように勧めた。2004年旧暦新年の後、甘茂永さんが病院で危篤状態になった時、家族はやっと情報を得て、病院へ行ったが、数日後、甘茂永さんは死亡した。

 甘茂永さんが死亡した後、家族は裁判所へ行って邱秀珍さんのことを調べた。裁判所の人が邱秀珍さんは8年の判決を言い渡されたと言った。家族は裁判所の人に、なぜ裁判するとき家族に通知しなかったかと聞くと、彼らは、邱秀珍さんは成人だから、自分で判断できる、邱秀珍さん本人の意思だと言った。

 現在、邱秀珍さんは悪党の不法人員に簡陽養馬河女子刑務所に拘禁されて迫害されている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/13/125088.html