日本明慧


廊坊の法輪功学習者・楊建坡さんが迫害により危篤

 文/河北大法弟子

 【明慧ネット2006年4月17日】河北省廊坊市の法輪功学習者・楊建坡さんは、2006年4月13日の午後、強制的に廊坊市中病院から廊坊市北大街病院に転院させられた。彼はやせこけて骨と皮の状態で、常に生命の危険を感じているという。このような状況下にもかかわらず、邪悪らはまだ楊さんを刑務所に送り込んでさらに迫害を加えようとしている。楊さんが一日も早く悪魔の住み処から抜け出すことができるよう、この緊急呼びかけを読んだすべての法輪功学習者は正念を持って邪悪を解体させるよう願う。

 楊建坡さんは何度にもわたり迫害を受けた。唐山市の悪警らにより2003年3月30日、唐山市豊潤区公安支局東側の三階に拘束された楊さんは、鉄の椅子に縛り付けられ、悪警から手動式電話機(直流 110ボルト)を使って交替で体に電気衝撃を与えるという迫害をうけた。そして、昼夜睡眠を取らせなかった。

 2004年2月20日彼は不法にも唐山開平労動教養所に監禁されて迫害を受けつくし、6月8日に釈放されて家に帰って来た時は、体重が40キロしかなかったという。2006年2月5日再度廊坊市610および国保大隊に拘禁されて、その翌日、妻の聶春玲さんが娘と一緒に広陽区国保に面会に行ったが国保大隊の信平玉らにめった打ちされて卒倒した。

 2006年4月14日の午前、楊さんの家族は廊坊市留置場に行って面会を求めたが留置場の所長は「楊建坡はこちらにはいないよ。すでに家に返したから、家に帰って待つんだぞ」と、ぬけぬけと言った。家族は「私たちはいまちょうど家から来ているのですが彼は家には帰っていません」と、言ったらその所長は「じゃ、俺らは知らないんだ。公安局に聞きにいくんだぞ」と、責任から逃れようとした。

 そこで、家族は再び廊坊市広陽区公安局に行って、局長に直接会いたいと申し込んだ。しかし、守衛スタッフは、局長はいま市局の会議に出席していると言った。家族はまた国保大隊(現在はもっぱら学習者を迫害する部門である)の人に会いたいと言ったら、守衛のスタッフは「国保大隊には誰もいないよ、彼らは昨夜法輪功を逮捕しに行っている」と、教えた。

 家族が極力、面会を求めたため守衛スタッフはしかたなく、国保大隊の隊長の高成剛に電話で連絡を取った。しかし、高成剛は楊建坡さんの家族が面会に来ているという話を聞いてすぐ「彼らを入れないで。楊建坡はすでに転送されて判決をまっているんだ」と、拒否した。

 中に入ることができない家族は、それぞれ各病院に行って楊さんの行方を尋ねるしかなかった。なぜなら、家族は彼の各臓器がすでに衰弱していて病院に搬送されるしかないと思っていたからだ。しかし、病院側も悪警らの脅迫により外に情報を漏らさず、しかも家族には教えようともしなかった。事情を知っている善良な人々の筋によると楊さんは3月の中旬から今まですでに廊坊市病院から中病院に転送され、その後はまた北大街病院に転送されたがすべての病院は危篤な状態であると診断したという。しかし、邪悪らは依然として彼を家に返さず引き続き刑務所に送り込むことを企んでいる。

 家族はとても心配して、楊さんの母親は食事も喉を通らず、寝ることもできず、立っても座っても居られない毎日を過ごしているという。楊さんの妻の聶春玲さんもかつて監禁されて唐山市第一留置場で無理やり食事を注入され、胃袋が破けて出血までした。しかも、親指も悪警に踏みつけられて爪が落ちてしまった。このように奥さんも迫害により体調が悪くなり、その上いまだに迫害を受け続けている楊建坡さんのことまで心配しなければならない状況下で不安な毎日を過ごしている

 ここで、これらの迫害の事実に関心を持ち、石家荘刑務所で迫害により死に至った楊暁傑さんのような悲劇が二度と起こらないように、すべての善良な人々に呼びかける。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/17/125444.html