二言三言:安全の問題に関する考察
文/大陸の大法弟子
【明慧ネット2006年4月20日】 1、常人社会の状態は、特殊な状況を除いて簡単に破壊することはできない。法を実証する過程の中で、たとえあなたがよく修めているとしても、常人の理を簡単に壊すことはできない。でなければ、大法の要求に背き、安全の問題が出てくるかもしれない。
2、自分はよく修めているし、常人の安全措置を取らなければ安全だということは、常人からしてみれば、まずそのことについて信じないし、次に修煉する人が正常ではないと大法を誤解し、さらに度し難くなる。精進していない学習者からすれば、真似をしたり自分に漏れや執着があるため、必ず安全の問題が出てきて、自信を失い、そのマイナスの影響も常人に及ぶ。
3、実際のところ、大多数の修煉者には、多少なりとも漏れがある。ならば、常人の安全措置を取らなければ、旧勢力はあなたに安全に関する問題を作る口実ができる。
4、修煉に大きな漏れがあるとき、たとえ常人の安全措置をとっても、安全の問題は出てくる(なぜならば、法を実証する過程の中で、旧勢力は決していかなる修煉上の大きな漏れを見逃しはしない)。小さな漏れがあるとき、常人の安全措置をとれば、普通は大丈夫だろう。よって、正念をもって漏れがないようにすることが最も重要である。
つまり、以上挙げたところ、正念をもって正しく行えば、はじめて安全になり、安全に注意することではじめて安全になる。つまり、安全とは、ます正念が必要で、次に常人の安全措置が必要である。
個人の悟りにすぎず、正しくないところは指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2006/4/20/125655.html)
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