日本明慧


天津、河北、吉林、四川、貴州各地で9人の法輪功学習者が行方不明に

 【明慧ネット2006年4月21日】

 * 法輪功学習者・張明亮さん、高田峰さんが6年前から北京で行方不明

 張明亮さん(56)は河北省唐山出身、高田峰さん(30)は河南省出身だが、2人の住所は不明である。

 2000年に、 張さん、高さんが河北省張家口市で商売をしていたとき、郊外に部屋を借りて、さらに商売用具などを持っていた。2人は2000年正月16日、大法を実証しに北京に出かけたが、その後行方不明になっている。二人がもともと借りていた部屋にある公衆電話に家族からの行方を探す電話があった。修煉者として、もし無事であれば、彼らは必ず商売上の事を片付けに張家口に戻って来るはずであるが、いまだ行方不明である。

 * 袁伯有さん、周鳳賢さん、袁静さんの一家3人が5年以上行方不明

 袁伯有さん(41〜42歳男性)、周鳳賢さん(40歳女性)、袁静さん(18〜19歳女性)は、3人家族で、吉林省農安県椿柴郷拉拉屯村三社出身である。3人は北京に上申に行き、5年以上過ぎても、まったく消息がない。現在、家にただ一人20数歳の息子が残っている。

 * 四川省の法輪功学習者・黄麗平さん

 法輪功学習者・黄麗平さんは、女性で、1967年11月生まれ、美容師、身長1.56m、色白で、短髪、家は四川省広漢武廟街城北派出所の隣にある。黄さんは1996年法を得た。2000年正月16日、数十人の法輪功学習者と一緒に広漢金雁湖公園で煉功し大法を実証していたとき、当地の公安局、城北派出所の警官に追跡され、黄さんは同修を援護するため、逆方向に逃げた。その後、仕方なく家を出て放浪生活をするようになり、現在まで消息がない。

 黄さんは行方不明前、腕の良い美容師で、武廟街で営業し、人々は黄さんを「三妹」と呼んでいた。中共は現在解体寸前であり、法輪功学習者に対してきわめて残酷で、特に蘇家屯事件が暴露されてから、中共は口封じに走っている。黄さんの家族友人は非常に心配しており、明慧ネットに問合せてきた。

 * 貴州省の法輪功学習者・劉鳳珍さんは、1999年北京で行方不明

 劉鳳珍さん(55歳前後女性)は、貴州省貴陽市出身で、国営花溪機械工場を定年退職した元職員である。1999年末、法を実証するため北京に出かけてから行方不明になった。家族が銀行に劉さんの年金を取りに行くと、年金は銀行に入ってないと言われた。

 * 重慶法輪功学習者・唐世容さんは昨年、家から失踪

 唐世容さん(63歳女性)は、重慶沙坪バ区井口農場(重慶特殊鋼工場新区にある)の法輪功学習者で、一人で住んでいた。2005年9月3日、家から失踪した。唐さんの娘が1週間後に気づいたとき、部屋には食べ残した食事があり、鍵は家においてあった。家族が八方探したが、現在まで唐さんの行方は分からない。

 唐さんの住所は沙坪バ区と北碚区の交差するところにあり、沙坪バ区の井口派出所か北碚区の童家溪派出所の所轄である。過去、いわゆる敏感日のときは、警察官がよく嫌がらせに来たが、唐さんが失踪してから警官が訪ねて来たことはなかった。当地の派出所は唐さんを連行したことを認めなかったが、しかし、当地の同修の認識では唐さんが邪悪に連行された可能性が比較的大きいとみている。なぜなら、唐さんが失踪したときは、ちょうど重慶市市長会が開催されるいわゆる敏感日の直前であったからである。

 * 天津市の法輪功学習者・劉慶祥さんは5年以上行方不明

 天津市武清区の法輪功学習者・劉慶祥さん(70歳男性、建築技師)は、天津市武清区石各荘郷良各荘村出身である。劉さんが1998年、大法を修煉し始めてから、多くの病気が全治した。

 2000年末、劉さんが武清区で真相資料を配り、人々に真相を説明していた際に、警察に連行され、不法に2年間の労働教養を言い渡された。劉さんは看守所で彼らに協力せず、ずっと断食、断水で抗議し20数日続いた。体が極度に衰弱したため、病気治療のため保釈された。

 家族は劉さんが再び迫害されるのを恐れ、人の出入りや人との接触を禁じた。劉さんは2001年春、密かに家を出て、現在すでに5年以上経っているが、まったく音信がない。2002年、中共のいわゆる「十六大」の前に、当地の派出所が大きな代価を払って劉さんを逮捕しようとして、劉さんの外地にいる親戚を徹底的に調査した。その前に石各荘派出所所長・倪景清とほかの悪徳警官が2つの電撃棒で60数歳の法輪功学習者・沙立田さんを拷問にかけて尋問し、劉さんの行方を捜し出そうとした。2004年前まで、当地の警察の劉さんへの追跡は絶えなかった。

 劉さんが家を出てから現在まで、友だちの誰にも劉さんからの消息はなかった。娘たちは何度も人を頼んで北京に探しに出かけ、彼女たちの父親がほかの法輪功学習者と連絡が取れるよう望んでいた。しかし、劉さんの90歳の母親が世を去ったときも劉さんから連絡はなかった。村の人々は劉さんが親孝行だと知っている。老人の姉は祝日になると必ず涙を流している。劉さんはどうしているのか、もしかしてもうこの世にいないのかと言っている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/21/125726.html