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法輪功学習者穆祥潔さんが国連難民高等弁務官事務所により救出され、アメリカに到着(写真)  

 【明慧ネット2006年3月31日】(明慧記者朱秀明報道)法輪功学習者・穆祥潔さんが2006年3月29日朝、NEWARK空港で当地の学習者に迎えられた。キリスト教慈善組織USCCBの代表も穆さんを迎え、彼女の宿を手配した。

2006年3月29日、法輪功学習者・穆祥潔さんが救出され、アメリカに到着した

 穆さんは天津市の法輪功学習者で、国連難民事務所の救援により、2年かかってアメリカに到着した。アメリカの土地を踏んで、彼女は喜びを感じる一方、心配もあると表明した。自分がやっと自由を手に入れて、中共の迫害から脱出できたことを喜びながら、中国でまだ多くの同修が監禁され、迫害されていることを心配している。彼女はアメリカ政府に感謝し、アメリカ人民に美しい未来があることを祝福した。

 * 残酷な迫害を数多く体験し、蘇家屯収容所の犯行を憤る

 穆さんはタイにいるとき、蘇家屯収容所のニュースを聞いて悲しかった。彼女は3回も看守所に入れられ、労働教養所に2回入れられ、2回目に3年間監禁された。彼女は自分の労働教養所での体験から、蘇家屯収容所での法輪功学習者への迫害は本当だと信じている。彼女は自分が2000年に北京に出かけたとき警察に逮捕され、最初自分の名前を言わなかったため、警察に名前を言わなければだれも知らないところ、たとえば新疆に送られると脅かされた。

 穆さんは「中共はまったく人間性がなく、彼らが飼っている警察は野獣です。人を迫害するにはまったく理由が要りません、やりたい放題です。蘇家屯収容所で法輪功学習者から臓器を生体摘出することは、まさにこのような悪魔の必然な表現です」と言った。

 穆さんは自ら体験した迫害をつぎのように述べた。

 「2000年1月、私は看守所の規定を暗記しなかったため、コードなしで雪の中に一昼夜立たされました。一月中旬私はまた雪の中で一昼夜立たされ、終わったら厳密に監視されました。1月25日私が煉功したため、2人の警察と6〜7人の受刑者に殴打され、一人の警察が私の鼻を折り、さらに手錠をつけたまま雪の中に放り出して、二人の警察が電撃棒で電撃しました。手錠があまりきつくて腕の肉の中に深く食い込んで、いまでもその傷跡があります。小指が麻痺して感覚がありません。このようにして一日が過ぎて、また寒い小部屋で6昼夜立たされました。その間洗面や睡眠はまったく許されず、たまに一個冷たい饅頭が与えられるだけでした。私は全身が腫れ、痛み、片腕が手錠のために変形し、口の内膜が全部脱落し、歯がゆるくなって、立つことさえ出来ず、精神的に崩壊の崖っぷちにいました」。

 「2001年1月、労働教養所の受刑者と警察が強制的に大法を誹謗するビデオを見せ、私をリンチしました。さらに私を一昼夜立たせました。翌日朝、彼らはさらにすべての法輪功学習者に対して強制洗脳を加えました。私は我々がここで監禁されていますが、我々にも話す権利があるといったため、警察が数人の受刑者に命令し、私の口を塞いで、私をある部屋につれて、十数人の受刑者が私を暴行し、私の上半身がまったく動けなくなり、口から血が出て、気を失いました」。

 「2001年1月中旬以降、保証書や後悔書を書くのを拒否したため、私は強制的に2カ月間立たされました(朝6時から夜12時まで)、私の両足の親指が壊死しました。4月はじめ、彼らは強制的に洗脳を行い、私の両手両足をベッドに縛り、2人の受刑者が私を押し付けて、不明な薬物を注入しました、私は自分を制御できなくて、精神が崩壊するところでした。4月末、私は洗脳班に監禁され、強制転向の迫害をうけ、さらに重労働の迫害をうけました」。

 「2001年〜2003年の3年間、受刑者が警察に命令され、私に対して厳密監視を行いました、誰も私と話すことができず、さらに私に対して精神的に苦痛を与えました。たとえば、よく気がつかないとき猛撃される、あるいはトイレにいくことを許されない、たえず流言などで中傷されるなどなどがありました。私は豆を選ぶ作業を強いられました、3〜4日で半日しか睡眠が許されず、車から豆を降ろすとき、袋は全部50キロ、60キロ、80キロのもので、10数袋を下ろし、これが常にあるので、上半身が動かなくなりました」。

 「2003年5月2日SARSの期間中、夜、悲鳴や暴行の声が聞こえて、労働教養所で暴力で強制的に過ちを認めさせることに抗議したため、私は55日間手錠をつけられたまま、殴られ、睡眠を許されず、トイレにいくことも許されず、同時に強制的な洗脳迫害をうけ、生理のときもトイレにいくことを禁じられました。6月26日、手錠をはずされたとき、私はもう歩くこともできなくなりました」。

 「2003年7月〜8月の間、警察が受刑者の曹麗那、ゴン遠鶴さんに命じて私を殴り、私が手紙を書くのを妨害しました。私は手紙を書き続け、顔が殴られ変形し、口もつぶされ、髪がつかまれて、引き抜かれました」。

 * 国際社会の支持を感謝

 2003年末、穆さんは中国大陸を離れ、香港にいき、彼女はすぐにアメリカ駐香港事務所に助けを求めた。アメリカ領事館のスタッフが彼女の経験に非常に同情し、彼女に国連難民申請をアドバイスし、彼女を支持する手紙を書いた。アメリカ政府駐香港官員の助けで、彼女はタイにいき、すぐに国連難民事務所に避難を申し入れた。そしてまもなく許可が下りた。最後に、アメリカ政府が彼女の受け入れに同意し、2年の年月を経て彼女はようやくアメリカに到着した。

 アメリカ以外、ほかの民主国家、たとえばノルウェー、カナダ、ニュージーランドなどの国も迫害され海外に逃げてきた法輪功学習者に手をさしのべ、彼らを本国に居住させた。

 * 国際社会はもっと援助を

 これからの予定を聞かれると、彼女は自分が国際社会と救援組織の呼びかけと助けで幸運にも自由世界にこられたが、まだ手配されていない学習者を心配している。彼女の天津に残っている友人二人が電話してまもなく警察に逮捕され、その後行方不明になっている。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/3/31/124128.html