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重慶労働教養所:女性医師・杜娟さんが虐待により死亡

 【明慧ネット2006年4月24日】重慶市の女性医師・杜娟さんは真善忍修煉を堅持し、法輪功真相を伝えたため、前後して2回重慶茅家山女子労働教養所に連行され、4年6カ月非人道的な虐待を受けた。2005年3月24日に脾臓、肺、肝臓がすべて潰爛したため、病気治療のため一時出所した。その後、仕方なく路頭に迷うようになり、2006年4月14日に冤罪が晴れないまま、この世を去った。年はまだ29歳であった。

 杜娟さんは、重慶市渝北区沙坪石油基地に在住し、石油従業員病院の医師であった。2000年に法輪功修煉を堅持したため、病院の党書記・周××と院長に強制的に連行され、1年半労働教養された。2002年3月25日、杜娟さんは法輪功真相を伝えたため、龍興警察派出所に連行され、3年の労働教養を強いられた。強制的に重慶女子労働教養所に送られ、非人道的な虐待を受けつくした。4年超の間に、女子労働教養所の学習者に対する迫害は公の形式から隠蔽の形式に変わり、かつ暴力と偽善を交互に利用して人を騙す卑劣な手段になった。

 明慧ネット2005年9月2日の報道によると、最初重慶女子労働教養所に送られたとき、杜娟さんは迫害を排斥するために、大法の真相スローガンを叫び、大法を中傷する黒板新聞を拭き、労働教養所の服を着ることを拒否した。すると警官は麻薬常習犯を指図して、汚い布とセロテープで彼女の口を塞ぎ、靴底で彼女の顔を叩いた。彼女の洋服をすべて脱がし、労働教養所の服を着せ、彼女をがんじがらめに縛ったまま激しく照りつける太陽の下に数時間も晒した。

 2002年5月、同所は「転向率」(法輪功修煉を放棄する率)を上げるために、もっぱら西山坪男性労働教養所より残酷無情な男性の用心棒を選んできた。杜娟さんは用心棒・李彬先に連続して十数回もびんたを食わされ、彼女の顔は直ちに腫れて変形した。麻薬常習犯の馬蘭、鄭秀琴は杜娟さんの腹部を殴ったり、蹴ったりした。杜娟さんは腹部の激痛に耐えられなくなり、吐き気がした。

 たとえこのような状況であっても、邪悪な警官は彼女を禁足室に投げ込み、麻薬常習犯6人に24時間交替で監視するように命令した。禁足室の中は薄暗くて、不気味な恐怖に満ち、空気は汚れていて、冬は陰湿で、夏は蒸し暑かった。ふたつきの便器はふたを開くと、臭気が部屋に満ちる。正常人はこの部屋で数分間いると呼吸が困難になるが、大法弟子はここで1カ月、2カ月も監禁される。

 麻薬常習犯は警官に指図され、杜娟さんを長時間立たせたり、しゃがませたりして虐待した。杜娟さんは腹部の激痛で眠れなくなり、6月12日になると、腹痛は更に強くなり、腰をまっすぐにすることもできなくなり、ずっと背を曲げていた。警官らは彼女が依然として自分の番号を報告しないことを見て、引き続き彼女を虐待した。最後に杜娟さんは気を失った。その後病院に送られて検査した結果、左の腎臓と脾臓が傷つき、腹部の腸は閉塞していることが診断された。警官は責任を負うことを恐れて、その夜、彼女を家に帰らせた。

 そのとき、杜娟さんは虐待によりすでに人の形状がなくなり、顔は腫れて変形し、体は青と紫になり、歩くとき必ず手で腹部を支えながら、一歩一歩歩かないといけなかった。6月15日、犯罪を隠すために、警官はまた考えを直し、杜娟さんの病気治療のための一時出所を取り消して、彼女を江北平和病院に連行して強制的に治療を行った。1週間後体の状態が好転すると、杜娟さんは再度労働教養所に送られ、虐待を受けた。

 警官が杜娟さんを残虐に迫害したもう一つの方法は、洗面させないことであった。ひどく暑いのに、まるまる2カ月間杜娟さんに一回の入浴もさせなかった。毎日麻薬常習者は彼女にたらい1杯の水にくれる。この水で、口をすすぎ、顔と足を洗い、体を拭き、洋服を洗う!たとえこのような状況下でも、水の量は次第に減らされていた。一回杜娟に水を少し多く与えた人がいたが、警官に怒られた。杜娟さんのシーツは汗で湿って洗うことができなくなり、髪の毛は脂っこくなってくっつき、洋服は板の形になり、全身は異常なにおいに満ちていた。

 毎日7、8時間、ひいては10時間立たされたり、しゃがませたりしたため、杜娟さんの足は1年中ずっと腫れていた。深刻な時は膝関節のところまで腫れ、そもそも36号の靴を着ていたが、後になって40号でも小さくて、足が入らなかった。

 暴力と体罰で学習者を転向させることができなくなると、警官はまたもう一種の手段を持ち出した。偽善の顔を装って、親切なふりをした。精神上の虐待は法輪功学習者を転向させるとき使うきわめて陰険で、隠蔽的な手段である。まず学習者と外界とのすべての情報を断ち、親族との面会、通信と電話を許可しない。一時期、警官は杜娟さんが同じ部屋の人と話すことも禁止した。二組のユダ(法輪功修煉を放棄した人)と数人の警官が彼女を囲んで言語の攻撃をし、人身の辱めを繰り返した。杜娟さんはかつて警官とユダの偽善に騙され、邪な悟りに走ったことがある。幸いに彼女は直ちに冷静をとり戻した。警官は冷静になった杜娟さんに対して全密閉式管理を行った。7カ月に亘り、彼らは杜娟さんをビルの下に降りることを許さず、甚だしきに至っては肺結核の患者に杜娟さんの言行を監視させて、杜娟さんも肺結核に感染した。平和病院の胸部検査を通じて、杜娟さんは最終的に連続性の肺結核、双側胸腔の積水と診断された。

 最後に杜娟さんは虐待によって連続して高熱が下がらず、呼吸が困難になった。警官はしかたなく彼女を家に帰らせた。そのとき、彼女は全身の脾臓、肺、肝臓がすべて潰爛していた。家に帰った後、当地の悪人と警官は長期にわたり、彼女の生活をかき乱し、追跡して迫害した。杜娟さんはしかたなく路頭に迷い、2006年4月14日に冤罪を晴らせずにこの世を去った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/24/125934.html