日本明慧


全体に対する理解と新聞配達による心性の向上

 文/Maria Schorgel

 【明慧ネット2006年4月15日】

 全体に対する理解

 一つの「全体」とは何か、私はどのようにこの「全体」について体得できたかについて語ろうと思います。

 国際人権日が近づいたとき、メール送信組から「私たちはこの日をどのようにうまく利用するか?私たちは何をすべきか?」と言う呼びかけがありました。私はこの特別な日に私の故郷・オーストリアのグラーツ(Graz)で人々に真相を伝え、彼らの心を呼び覚まそうという考えが心の深いところから湧いてきました。私たちのザルツブルク(Salzburg)とウィーン(Wien)にもインフォーメーション日があります。こうして私たちは初めて3カ所で同時に活動を行いました。私たちのグラーツ(Graz)のインフォーメーションステーションは国際人権組織のIGFMを通じて設立したものです。

 私は本当に心の最も深いところから法を実証しようとする場合、邪悪に邪魔されないことを知っています。準備の仕事はとても順調でした。私は初めて、私のプリンターを利用してポスターを印刷しました。どこにポスターを貼るかについては、同修にすぐよい考えが浮かんできました。その日に必要なもの全てを、私たちは最も簡単な方法で共同で担当しました。クリスマス前の繁華街とは少し離れていましたが、私たちはやはり私達の真相に耳を傾けてくれる多くの人に出会いました。

 私たちは、人々の注意を中国の人権を支持するサイン表に向かせました。大勢の人がサインしてくれました。私は広場全体が法のエネルギーで覆われていると感じました。私たちは一つの不思議なエネルギーに満ち溢れました。私たちと他の都市の同修と一つの「全体」でした。私はまた、インフォーメーション日の活動の中で、常人の観念や無駄話に邪魔されないようにするには、常に法に基づくことが如何に重要かを認識しました。

 新聞配達による心性の向上

 私が学習者により作られた新聞をグラーツ市内で配達する時、全身もエネルギーであふれました。私は「新聞が来たよ!」と大声で叫び、店内の客たちにもよく聞こえるようにしました。これは私にとって楽にできることです。私はまたコーヒーショップにも新聞を配達します。特にある一カ所にはコーヒーショップがたくさんあります。その中にはまた古い伝統的な旅館が一つあります。毎回私は店内に入って新聞を置きました。殆ど全てのところで私たちの新聞はとても受け入れられていて、人々はみんな嬉しく受け取りました。しかしただこの旅館だけは、あそこの人が友好的でなく、またこれが原因で私は何回も新聞配達をやめました。

 私は内に向けて探しました。自分に「これはいったい私とどんな関係があるか」と聞きました。私はやっと分りました。これは私に常人の観念があって、私はこのような旅館を嫌がっていたからです。私には以前、酔っぱらいの彼氏がいて、彼はいつもあのような旅館に行ってふしだらな生活をしました。そこで私は、次はあそこにも新聞を配達しようと決心しました。私は、人はみんな救い済度される権利があると思い、あそこの人も中共の罪悪を知るべきだと思いました。それ以来、あそこの人もだんだん友好的になって、しかも積極的に新聞を受け取り始めました。

 一人だけで公園で煉功するには、動揺しない正念が必要です。まさに師父が『2005年サンフランシスコでの説法』の中で説かれたように「人間の考えが優位に立てば人間に向かって行きます、神の考えと人間の正念が優位に立てば神に向かって行きます」でした。

 このような考えを持ちながら毎回公園で煉功すると、得られた効果も良かったのです。いつもこのような情況が現れます。私のCDプレーヤが突然止まったり、小蜜蜂(煉功音楽を流すマシン)が突然音を出さなくなる場合があります。この時は、いつも真相資料の横に人が立っています。私はすぐにその人の方に歩いて行き真相を伝えます。毎回このような事に遭遇したとき、私は「よし!今日もまた正しく行なった!」と思います。

 師父に感謝します!同修よ、ありがとうございます!

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/15/125289.html