日本明慧
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【明慧ネット2006年4月26日】吉林省の法輪功学習者・王建国さん、趙秋梅さん夫婦は、2006年3月2日に譚新強をはじめとする船営区南京派出所の警官に連行された。妻の趙秋梅さんは非合法に労働教養1年を課され、王さんは南京警察派出所で拷問により自白を強いられた。王さんはその後、吉林省留置所へ送られ、野蛮に強制食物注入を行われた。4月10日に迫害により死亡、年はまだ30歳だった。4月13日に王家は庭の中に柩を安置する仮小屋をかけて、天にいる建国さんの霊を慰めた。 王建国さんは吉林市虹園経済開発区虹園村4隊に在住。彼の父親は武道を教授して生計を立てていた。以前、吉林市武装協会の副主席を勤め、吉林市八極武館館長だった。王さん夫婦は朝陽街で小さなレストランを経営していて、一家は幸せで、円満な日々を送っていた。しかし、彼らは「真、善、忍」を信仰し、良い人になろうとしたため、迫害を受けた。 2006年4月24日の午前、3、4人の人が王家の表門の外でこそこそとして、表門の外に貼ってある公告を見たり、庭内の柩を安置する仮小屋を覗いたりした。王さんの家族が外に出でくると、彼らは驚きあわててそこを離れた。彼らは1台の黒い車に乗ったようだ。目撃者によると、彼らは国家安全局のものらしく、前回王さんの自宅を捜査するとき、彼らの中の一人が参加したという。その夜6時過ぎ、虹園経済開発区の主任・将恵友などの3人が車で駆けつけ、王家を掻き乱した。 4月25日午前10時半前後、2人の私服警官、哈達湾警察派出所の警官・付斌などの5人の警官が、また王家に来た。王家に来た人はみな追及した。警官らはまた王さんの両親の行方を聞き、しかも部屋を一つずつ捜査して帰った。午後1時過ぎて、哈達湾警察派出所の付斌と一人の運転手がまた王家に掻き乱しに来た。付斌は王さんの両親はどこに行ったか?この上訴の件は王さんの両親と対面で解決しないといけないと話した。また、この件について、あなた達は先ず上訴をやめなさい、もう既に大きくなっていて、全国に知られた。あなた達のこの柩を安置する仮小屋は影響がとてもよくない、王建国さんのこの件についてあなた達はなるべく早く解決しないといけない。あまり時間を延ばさないように、そうしないと、上層部は王さんの死体を火葬する権利がある。王さんの家族は、この件は私たちの満足できるところまで解決できないと、私たちはとことんまでやって、ずっと中央まで上告する、と言った。 4月20日の午前8時過ぎ、王さんの家族は吉林省船営支局4階の取調課を訪れ、王守義(王建国さんの事件担当者)が対応した。王さんの家族は、王建国は既に迫害により死亡した、私たちは王建国の妻が家に帰り建国に逢えることを要求するといった。王守義はこの事件は強制労働収容所の事務室に行かないといけないと言った。王さんの家族が、王建国さんの死因について問うと、王守義は留置場の死因報告を持ち出した。王さんの家族は報告に書かれている「緊急措置をとったが、助からず死亡」を見て、「病院に着いたとき、既に死んでいた。どうやって緊急措置を取ったか?この留置場は完全に責任を逃れようとしている」と詰問した。王さんの家族は王建国さんの遺体を求めたが、王守義は「遺体を求めるのは正当だ。上司に確認する」と答えた。王さんの家族は、「私達の家から理不尽に持ち去った銭物を私たちに返されなければならない」と要求した。王守義は「返すことはできない。3500元の現金については、船営区南京警察派出所はまったくこちらに引き渡していないので、私達も知らない」と言った。 4月24日の午前、王建国さんの家族2人は長春黒嘴子女子強制労働収容所を訪れた。11時過ぎて、やっと王建国さんの妻・趙秋梅さんに面会できた。看守の肖愛秋は寸歩も離れなかった。王さんの家族は趙秋梅さんと一部家庭内のこまごました事について話していたが、看守は、あなた達は彼女に「決裂書」を書くように説得しなさい、そうしないと満期になってもまた期限を延ばされるからと言った。同日、王建国さんの家族3人は9時過ぎて、吉林省留置所を訪れ、叢茂華に説明を要求した。叢茂華は、「あなた達に3千元を補助することはできる。火葬後の骨灰は家族に渡す、其の他の責任は全て王建国個人が負う。私たちは引き受けない」と言い、王さんの家族に、王建国さんが非合法に拘禁される間の詳細が書かれた紙を渡した。 王建国さんは南京警察派出所で拷問により自白を強いられた。その後、吉林市留置場へ送られ、そこで野蛮な強制食物注入を行われ、4月10日に迫害により死亡した。4月13日より、王家は庭の中に柩を安置する仮小屋をかけて、天にいる建国さんの霊を慰めた。庭の表門には「真相看板」が掲げられている。その内容は互いに矛盾する王建国さんの死亡の病例と王建国さんが吉林省留置場で迫害により死亡した事に関する多くの無実の罪を受けた実情に対する疑問点だった。当日、多くの家族は一緒に集まり、悲しみ憤りのあまり修煉しない家族は布告を数枚かき、王建国さんが受けた迫害を述べた。布告は表門の外に貼り付け、全ての人に王建国さんが無実の罪を受けた実情を知らせ、天下に訴えた。柩を安置する仮小屋をかけた日、日はどんよりして、急に寒くなり、空中には雪片が漂い始めた。 その日から王家の親友、隣近所、同郷人はうわさを聞いて次々と急いできて弔問して、多くの人はみな法輪功学習者の王建国さんに線香を立てて、甚だしきに至っては近くで仕事をしていた一部の出稼ぎ農民がニュースを耳にした後、みな布告と表門に掲げられた「真相看板」を見に来た。王建国さんの家はとても辺鄙だけれども、しかし往来の車が布告と被害者の無実の罪を受けた実情分析を見るためにやはり止まっていた。弔問する村民達はみな涙を流しながら「この子の死はとても不公平だ!こんなによい子を迫害して死亡させるとは、共産党はもう終わりだ」言った。ある村民はまだ「私達は、以前法輪功を修煉する人が迫害されて死亡したということを聞き、全て嘘だと思った。今やっとこれらが全ての事実であることを知った…」と言った。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/4/26/126140.html) |