日本明慧
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文/アメリカの大法弟子 【明慧ネット2006年3月30日】最初、蘇家屯強制収容所での事を聞いた時、私は激怒と激しい痛みに包まれた。数日間は本当につらかったのです。中国共産党は官僚の衣服を着ている強盗だけではなく、まさに人間の皮を被った悪魔だったのです! 少し冷静になってから、私は法を勉強し始めて、内に向かって修め始めました。私はこのように考えました。 神は慈悲であり、常人のような情を持っていません。でも、神は常人が考える木のように、話さないし笑いもしないというような存在ではありません。同修のみなさんは師父の微笑んでいる写真を見ましたね。師父は経文の中で、「この永遠に残る大罪、蒼穹の限りを満たしたほどの悪事を働いたこの大罪は、大穹の全ての神々を激怒させました!」(『世間に向かって輪を回す』)とおっしゃいました。神も怒ることがあります。しかし、神は常人と違います。神は常人のように、怒りをもって戦い、過激な言動や行動などで対処することをしません。神は法を正す基準に従って、純正に法に同化すると同時に、どんなことがあっても、明晰な理性で大法に対して犯した罪を認識しようとし、法を正すことを護持し、邪悪を取り除き、衆生を済度することに対し、金剛不動なのです。 一部の同修たちはこの残酷な事実に怯えました。このような恐怖は大法を修煉する決心を揺るがすことはできませんが、心の奥にほんの少しぞっとする気持ちがあれば、それは邪悪が生存する理由と空間を提供することになるのではないかと思います。旧勢力の人類に対する恐怖への「訓練」は、中国共産党が政権を盗んでから起こした数多くの政治運動や虐殺などから始まったのではなく、数千年の歴史の中に、いわゆる「善い人には善い報いがない」、韓信や岳飛や于謙などの忠義な人々の虐殺を通して、苦難と迷いの中にいる衆生の正信を妨害してきました。今回、宇宙の法を正すことについて、師父は「法を正すことは必ず成功し、大法弟子も成功します」(『2004年アメリカ西部法会での説法』)とおっしゃいました。 だから、常人の情と観念に動かされた残酷さへの恐怖は、邪悪への妥協となったのではないでしょうか? どのように師父を信じ、法を信じてきたのでしょうか? あの魔ですら、師父が彼を狂わせようとすれば、彼が始めて狂うようになるのです。邪悪がどのように狂おうとしても、師父の掌から逃げることはできないでしょう。偽りの現実と常人の心に惑わされてはじめて、恐れるという心が現れるのです。しかし、法を勉強すればこの迷いを破ることができます。 また、一部の同修に恨みという心が生じたのです。テレビの報道では私たちの活動を「怒りの叫び」という言葉で言い表しているのです。しかしながら、私たちが活動を行っている場所からちょっとだけ離れたところに止めた同修の車が中共の手先らによって壊されました。同修の正念の場はどのぐらい強かったのだろうかと疑問を感じました。師父は『正念をもって悪事を制止する』の中で「しかし、その前提は、皆さんの正念が強く、恐れる心がなく、常人の執着、心配と恨みの心がないことであり、その状態ではとても効果的です。正念が出れば、直ちに効果が見られます」とおっしゃいました。「真・善・忍」という正法理の制約の下において、私たちがもし現実をより現実として受け取れば受けとるほど、宇宙の最低空間に制限されてしまうこととなるのです。私たちの修めた一面や神としての正念も、修められていない常人の執着に妨害されてその役割を果たせなくなります。このような常人の心を放棄してはじめて、法に同化し、人間世界で安定した強大な正念の場を形成させることができるのです。 しかし、どうして蘇家屯事件を生じさせることが許されたのでしょうか? これまで不法に監禁されたことのある同修たちは知っているように、中国共産党が人を殺す方法は古代から現代まで、中国から外国まで、すべての邪悪から集められたものです。またすでにコントロールされたあの邪に悟った者たちは、その真の生命はもうすでに法を正すという大きな流れに戻ることができないのです。生命の本質から言えば、彼らは人間というこの次元では、蘇家屯強制収容所で、生きたまま臓器を摘出され遺体を焼却されるというような残酷なことに遭ってはいないが、しかしその真正の生命は残酷をきわめた方法で殺され、徹底的に消滅させられたのです。 師父は「皆さんは大法弟子が行うべき三つのことを一層良く行わなければなりません。執着を放下し、大法弟子として必ずはっきりと認識しなければならない迫害と、私たちを迫害している邪な党の本当の姿に常人の心で対処しないでください」(『新年の挨拶』)とおっしゃいました。師父はまた「つまり、法を正すことと大法弟子の修煉が必ず成功することはもう本当の事実となります。事はまだ最終的にやり終えていません。個人修煉にとって、一歩一歩は全ての大法弟子が圓満成就できるかどうかの要になるかもしれません。最後にどういう程度になっても、妨害がいくら大きくても、または法を正す中で全部分かるようになっても、正々堂々と修煉しなければなりません。如何なる良い出来事にも悪い出来事にも妨害されず、情勢の転機または現れる如何なる情勢にも妨害されないでください」(『アメリカ西部国際法会での説法』)と教えてくださったのです。 先日から、国内の人権擁護人士は自発的にハンスト・リレーを始めました。そのため、私たちの一部の学習者は全国の全ての人々が立ち上がって迫害に反対し始めたのではないかと思って非常に喜んで、一層積極的に取り込んでいきました。もちろん、これらのことをしてはいけないとか、あるいは広めてはいけないとは思いません。しかし、その時どのような心態で対処しているのかということが非常に肝要だと私は思います。今、蘇家屯強制収容所での蛮行はすでに暴露されました。その蛮行の残酷さは人間が耐えられる限度を超えたものです。しかし、その事実に怯えたある同修たちは、法を正すことに対して心の中で疑問を感じ始めたのです。 したがって、多くの学習者の心が動揺したということに対して、私たちは本当に真剣に考えなければならないと思います。広い範囲に及ぶ人心の揺れは、きっと法を正す中に人為的な魔難をもたらすので、これはすでに個人的な問題ではないと思います。よって、私たちが早く悟れば悟るほど、また早く純正に修煉すれば修煉するほど、法を実証する道がより穏健になるのです。 師父の『世間に向かって輪を回す』などの経文が発表されてから、学習者の厳正声明や「三退」声明が急増しました。これを見て、私はうれしく思うべきか、あるいは悲しく思うべきか分からなくなったのです。どうして、私たち自身が法を勉強し、内に向かって修めることから正しく悟れないのでしょうか? どうして、師父がはっきり言ってくださってから、はじめて気づくのでしょうか? 同修の皆さん、一緒に積極的に蘇家屯強制収容所での残酷な暴行を暴露しましょう。この残酷な事実で各国政府が利益のために、いまだに中国共産党に良心を売っているあれらの団体と個人を目覚めさせましょう。邪悪による迫害を全ての人々に暴露すれば、中国共産悪党に致命的な打撃を与えることに違いないでしょう。 しかし、私たちは師父が明白に言ってくださることを待たないで、一層理智を持って正念で法を正す情勢を認識し、法を正すことを行っていくべきだと思います。 法を勉強してから、私は更に明晰に法理を理解することができました。そして、考えと心も一層純正で澄み切るようになり、体の外にあった重い殻が取り去られたような感じがします。今はとても穏やかで、気持ちがよくて、少し喜びを感じています。 以上は最近気付いたことで、現時点での認識です。不足がある部分についてぜひ指摘していただきたいと思います。
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(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/4/5/71603.html) |