日本明慧


三つの基本的な問題 

 文/ 大法弟子

 【明慧ネット2006年5月1日】伝えられているところによれば、古希臘の哲学家は三つの問題を提起したことがあるという。その三つの問題とは、「私達はどこから来たのか?私達は誰なのか?私達はどこに行くのか?」である。この三つの問題は彼が最初に提起したとは限らない、大昔から、私達の祖先の祖先は、しきりにこれらの問題を思索しただろうが、その解答が分からず茫然としてきた。 

 しかし今日の大法弟子は、とても明確にこれらの問題に解答できるはずである。 

 以下は私が法の勉強の中で認識した答えである。 

 1、私達はどこから来たのか? 

 私の一生は修煉者の一生であり、修煉の道は師父が按排してくださっており、変えられた一生である。だから、私の生命は大法に創られたのであり、私の修煉者としての一生は、大法が私の生命を創る過程なのだ。 

 2、私達は誰なのか? 

 私は大法に創られた生命であり、大法を守るのが私の本分である、私が世の中にいるのは、法を得、衆生を救い済度するためである。それ以外の様々な世の中での身分は、ただ、一世一世の人生芝居の中の役を演じるにすぎない、数日旅館に泊まり、数回演じるだけのことである。 

 3、私達はどこに行くのか? 

 師父は私達一人一人の大法弟子皆に円満への道を按排してくださり、円満後の私達に最もよいものを用意してくださった。それが私達の新しい宇宙の中の行く先と帰るところであるのだ。私達は今その行く先と帰るところに相応しくなるために、師父の要求された正法時期の大法弟子が同時にしっかり行うべき三つのことを、しっかり行っているのである。 

 以上の認識上に不適当なところは、同修の指摘を望む。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/1/126370.html