二言三言:必ず発正念を重視しなければならない
文/大陸の大法弟子
【明慧ネット2006年5月7日】師父はすでに、我々に発正念は仏法神通を行使することであると明確に説法なさった。そのため我々は自分たちに能力がないと考えてはならない。それは師父と法を信じない表れである。なぜなら、師父は昔すでに我々を最高次元まで上げてくれたからだ。自分の能力を疑ってはならないのだ。
それに、発正念は非常に厳粛で、神聖であり、必ずはっきりとした意識でしなければならない。発正念して卑しい鬼と黒い手、共産党の悪霊を取り除く中、黒い手も旧宇宙の神であり、彼らが正念を無くして悪くなったがため取り除かねばならないのである。そのため発正念する大法弟子はまず正念を持たねばならず、意識をしっかりしてはっきりした状態で、決して寝る状態になってはならず、手のひらをまっすぐ立てねばならない。この表面の形も非常に重要だ。少なくとも常人に厳粛な態度を見せねばならない。別空間ではさらに神聖で壮大に違いない。
もし妨害されたら必ず自分の心と良くない観念が原因となるので、あなたの正念が強ければ、いかなる邪悪な要素もあなたを妨害することができず、必ずあなたに取り除かれる。正念を発することは悪を取り除くことであり、宇宙を守ることであり、衆生を救い済度することであることを、我々ははっきりと弁えねばならないのだ。正念さえ強ければ、いかなる問題も煙のように消えるはずである。そのため、決して発正念を軽視してはならないのだ。
個人の認識に過ぎず、足りないところはご指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/7/127094.html)
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