2001年の唐山:若い法輪功学習者は一人ずつ軍用車で連れて行かれた
文/中国大陸法輪功学習者
【明慧ネット2006年5月8日】大陸各地の強制労働収容所、留置場、刑務所、病院が生きている法輪功学習者から臓器を摘出する暴行に加担したことを耳にして、私は驚き、急に2001年に私が非合法に唐山に拘禁されたときの陰謀に満ちた光景を思い出した。
2000年12月中旬、私は同修とともに天安門広場に行って、横断幕を開き、「法輪大法は素晴らしい」と心からの声で叫んだ。その後、私は警官に天安門派出所に連行された。そこで、名前と住所を言わない同修は一人ずつ車で運ばれ、各派出所の警官はそれぞれ3人の法輪功学習者に対して自白を強いた。
私もある派出所へ連れて行かれた。午後から一晩かけて脅したりすかしたりして、自白を強いられても、警官は目的を達することができなかった。翌日、彼らは非合法に私をある留置場へ拘禁した。私が断食断水で抗議して5日目、私はもう1人の同修と一緒に車で運ばれた。同車には法輪功学習者が3人いて、1人は20歳余の若い男性で、彼は殴られて鼻があざだらけになって、顔がはれあがっていた。あと2人は見た目には40歳前の女性の同修だった。当時私たちは、まだ私たちを野外に連れて行って解放すると思っていた。
車はある集金所に着いたとき停車した。まもなく、法輪功学習者をいっぱい乗せた車が続々ときた。その中には大型バスも少なくなかった。約1時間後、一つのとても長い隊列を組んで、北京・天津・唐山の高速道路を走った。その時、高速道路は封鎖されていて、路面はすべて氷と雪でおおわれ、とても悲しい風景だった。
最後に、隊列は唐山のある留置場に到着した。車が止まるとすぐ、車ごとに1人の医者が上がってきて、法輪功学習者に対して順番に脈を測り、それぞれの軍用車に移動させた。引き継ぎの過程はすべてのグループ毎に行われていて、すべてのグループには医者(白い服姿)が1人いて、医者が脈を測ってから、軍人により軍用車に移動させられた。彼らの秩序だった熟練している様子を見て、このような引き継ぎは決して初めてでないと分かった。
私は1人の女性医師に脈を測ってもらった。医師は私の心臓に問題があるかもしれないと彼らの頭目に言い、私が要るか要らないかと聞いた。あとで彼らは少し論争した。その頭目はどうしても私が要らないと主張したので、私は唐山留置場に残された。
彼らの論争の間、私は側で彼らが引き継ぐ過程を見ることができた。私が目にしたのはすべて若い法輪功学習者だった。軍用車は人がいっぱい乗ると、1台1台移動し始めた。
私は同修が軍隊によりどこへ運ばれたか知らない。その後どうなったかも知らない。明慧ネットの報道を見て、瀋陽のベテラン軍医の証言から、生きている法輪功学習者から臓器を摘出したことは軍隊がコントロールし、しかも北京、天津、唐山各地の病院がすべてこの残忍な悪業に加担したことを知って、私は心の中でひとしきりひとしきり気苦労と恐慌を感じ、私と一緒に唐山に運んで行かれた若い法輪功学習者を思い出した。彼らは今どこにいるのだろうか?
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/8/127155.html)
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