日本明慧


修煉しているのは我々である

 文/雲南大法弟子

 【明慧ネット2006年5月12日の報道】この宇宙の中で、我々は師父の救い済度する衆生であり、師父が我々を済度し、我々はそれに従い修煉している!我々は必ず『転法輪』に従って修煉し、新宇宙の法に同化しなければ新宇宙に入れません。師父は法を正し、我々は法を正す時期の大法弟子であり、師父を手伝って法を正しています。我々のすべてもその中から生まれるのです。

 しかし、時々、我々の中の同修はこれを忘れています。例えば、中共の秘密収容所の事件が暴露された後に、ある同修者は、師父が手を下してこれらの悪魔を滅ぼすべきだ、奴らは悪すぎる。何故こんな最悪なことが起こるのかと云々していました。

 そうですね!もし師父が旧宇宙を爆発し解体させ、直接新宇宙を創り出したら、師父もこんなに辛抱に世界中を周って説法し、人を済度しなくてもいいでしょう。また我々を地獄から救い、我々の罪を我々のために担い、そして我々の人生を元々の人生から修煉者の人生に換え、我々を見守り、我々をまったく新たな宇宙へ済度する必要はないのではないでしょうか。

 考えてみてください!我々の生命の本性は実は自分自身だけのために考える私心の上に建てられています。それを他人のために、正法正悟な本当に偉い大法修煉者に変えられることが、いかに巨大な心の痛い仕事であるか皆さんは考えたことがあるでしょうか? 困難がいかに大きいかをご存知でしょうか?我々は真に修煉しないでおられますか?

 我々はなんと幸運に恵まれていることでしょう!このような偉大な師父と出会い!宇宙中から注目される大法弟子になりました!しかしながら、何かあったらすぐに師父がこれを解決してくれると思い、自分の心を修煉しない、そういう考えは、師父に、我々を直接天の上に引っ張って連れて行ってくださいとお願いすることと同じでしょう。しかし、我々が本当に真に修煉を重ねないで、心性のレベルが標準に達していないままでそこに滞在することができますか? 必ずまた落ちてしまうでしょう。ですから、何か矛盾や邪魔にぶつかった時に、それを利用して、それを乗り越えるために自分を修煉し、心性を向上させることがいかに大事かということではないでしょうか。

 師父は慈悲で我々を済度し、われわれは修煉し、自分で歩き出し、自分の威徳を建てるチャンスを与えられました。師父に難はありません!これは旧勢力が幾重にも重なり合って自分だけを守る私心を抱き参入してきて、低層の要因を操縦し、自分のことしかやっていないから、自分の変異した観念を放さず、自分が好きなものを最高のものとして師父に強制的に任せたことで起こった巨大な難です。師父はそのすべてを一切承認していません。我々も頭の中、行動の中でもそのすべてを承認していません。修煉は、法に従い自分を修煉し、どんな矛盾、邪魔、困難があってもそれを乗り越えるために自分を練磨し、自分が正しいかどうかだけを考えます。それは我々が修煉をしているから、修煉は自ら修煉するからで、ほかの人に任せてはいけないのです。自分以外の強大な力に頼ってはいけないのです。外のどんな正と負の情勢の変化にも頼らず、我々は法に従い、自分の足りないところを修煉で補い、真相を伝え、衆生を済度するならば、いかに天が落ちて、地が沈没しても、蘇家屯にしろ、収容所にしろ、すべての悪魔は自滅するのです。これはこの時期に私が感じるところです。

 内心に自分の観念を守り続けていては何をしても無駄です。すべての心は我々が法に同化するための邪魔になるのです。法を正しく理解することへの隔てとなります。すべての矛盾や邪魔は我々が内心に問いかけ、欠点をなくすいいチャンスです。このすべては自分の歩む道です。これは旧勢力の按排した魔難の中の修煉ではなく、我々は必ず自分自身で正しい正なる道を歩まなければならないのです。

 我々の資料拠点で天目が見える年配の同修者は、師父と法を堅く信じていますが、何か重大なことがあって、自分の決断を求められた時、いつもこのチャンスを逃して、師父の法身に指示を求め「師父、このことはこうするべきですか?もし我々が正しいと思えば、法輪を放して、我々が正しくないと思えば法輪を放さないでください」とお願いし、このように判断を師父に任せるのです。初めて私はこのことに出会った時、絶対に駄目だと思い、このやり方は駄目だと説得しました。修煉をしているのは我々であり、師父ではありません。どうして自分の悟るべきことを師父に任せるのでしょう? 二回目このことに再び出会った時、私は彼女と一緒に法を学習し、内心から法を正しく認識するしかないと思いました。

 我々は自分を強調した時、それなりの自己だけの世界に落ち、心の中に他人が存在しなくなるのです。口から吐き出した言葉は他人には受け入れ難く、したがって矛盾が生じます。毎度、明慧ネットで同修者の書いた、師父の説法時のできことを思い出した記事を読むとき、いつも感動の気持ちを抑えきれません。師父のすべては他人のために考え、すべては慈悲であり、本当の「仏光普照」であると感じるのです。

 私は再び法を学習した際に、自分の立場から師父はどう人を済度されたか、本当に我々に与えるもののすべてをこの法に凝縮し、衆生のために自分のすべてを尽くされたことを見ることができました。何があっても師父は一度も私を手離されませんでした。なんと慈悲な師父でしょう!なんと偉大な師父でしょうか!

 私は『転法輪』を暗記すればするほど、法がいかに貴重であるかを感じ、法を学習すればするほど、師父にどう感謝すればよいかが分からなくなり、衆生を済度しなければならないと感じるのです。私は衆生に真相を教え、彼らの善意の観念を導き、彼らが再度悪いことをやらないように、邪党集団の組織から脱出させ、かれらを救度するために真相を伝え続けます。師父の慈悲の普度に無限に感謝しています。我々を保護し、変異した旧宇宙から助けだし、新宇宙へ導き、自己中心から私を救われた偉大で慈悲な師父へ向かって、尊敬の気持ちで合十します!

 私の認識は浅いと思いながらこれを書き上げ、同修者と交流します。同修に何らかの啓発や役に立つことになれば、それは私の出発点でもあります。師父がいまだに経文を書き続け、我々を導き、我々の修煉を指導されていることに心より感謝しています。ですから私はこの体験文を書きたいという気持ちになりました。同修と交流しながら共に精進しましょう!足りないことはあると思いますが、訂正して読んでくださるようにお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/12/127463.html