日本明慧
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【明慧ネット2005年5月17日】黒龍江省チチハル市の法輪功学習者・潘洪東さん(明慧ネットで報道されたことがある)は、2001年9月4日に、当地の鉄鋒区新工地公安出張所の悪警官に連行された。刑具をつけられたり、電撃棒で生殖器を撃たれたりした。潘洪東さんは三日間絶食してから、チチハル市の第二拘置所に監禁された。2002年末、10年の刑を受け、2003年旧暦の新年の後、法律違反で黒龍江省チチハル市泰来牢屋に送られ、迫害された。2005年5月15日朝8時18分残酷な拷問を受けたため亡くなった。
2004年8月26日に、泰来牢屋第九拘置所(動力拘置所に改名される)の第ニ支拘置所で「保証書」を書かせるため、大隊の副教曹閔江は命令を下し、潘洪東さんの四肢を縛って鍵を掛け、「工」という字の形のような姿勢をさせられ、レンガで胸の骨を支えるなど、夜を日に継いでセメントの上に座らせた。昼間に見せしめに行われた。 3日後、潘洪東さんは絶食した。2004年9月1日に、残酷な迫害のもとで、本心に背いて「修煉しない保証書」を書いた。 迫害した後の状態は悲惨を極めていた。ある受刑者はすべて見終えられないので、こっそりと座布団を渡した。悪警官が気付いた後、容赦なく批判されていた。 2005年5月14日夜、潘洪東さんは体の状態が悪くなって、当日19時に嘔吐する現象が現れ、次いで病院に送られた(脳幹が出血した)。潘洪東さんは2005年5月15日8時18分に亡くなった。迫害に加担したのは二中隊の指導員何宏慶と改造隊の長安盛2人である。 その後になって、潘洪東さんの家族は上告したため、検察院は泰来刑務所に調査に来た。悪警官は学習者を見ていた受刑者・高明、鐘世祥を唆して 偽の証明をさせて潘洪東さんに対する迫害を否認した。
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