日本明慧


二言三言:円満成就するまで内に向けて探す   

 【明慧ネット2006年5月26日】修煉をしてから執着心を失いつつあり、修煉状態のいい時は内に向けて探しても執着心が見つからないくらいです。法を実証する能力が高まるにつれ、インターネットを通じて脱党の説得もよくできており、さらに、迫害を加えている悪らつな警官は、電話で迫害の実例を訴えると怖くてたまらない様子だったようです。しかしながら、このようにして知らず知らずのうちに、修煉体験の文章に自慢の心が生じるようになり、文章の中で内に向けて探す部分が減り、代わりに自分の法を実証する能力が突然現れました。もちろん、よい行いの経験を書き、学習者同士で切磋琢磨するのは決して間違ってはいませんが、肝心なのは自らの細心が足りないと、内に向けて探さなくなり、自己を実証して、法を実証しているのではなくなります。これを続けると、邪悪が生存する空間を強大にさせるだけではなく、文章の中身も空っぽになり、内かんがなくなります。私はこう悟っています。「一人の修煉者は円満成就までの一刻も、漏れずに内に向けて探し、私たちのこの体はまた三界にいるため、法の勉強を怠れば、情に影響されやすくなり、執着心とともに名利心も生じてきて、心性が間違いなく落ちてしまいます。新しい学習者でも古い学習者でも、自分の修した良いところだけでなく、時々刻々、内に向けて探すうえで、最終的な円満成就が保証されます。

 以上は、個人の次元における体得ですので、慈悲をもってご指摘ください。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/26/128803.html