日本明慧
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文/四川の大法弟子 【明慧ネット2006年5月28日】私は94年12月から大法と接触しました。最初の数年はただ健康な体があればいいと思っていました。学法も煉功もさんざん怠けて、多くの時間を無駄に費やし、法の勉強も良くせず、人心もとても重い状態でした。 悪党は99年7.20から気が狂ったかのように、大法の破壊と残酷な迫害を始めました。当時、大勢の大法弟子はどうしたらよいかが分からず、私も繰り返し考えました。私達は大法を学ぶべきか? どのように学ぶのか? だんだんと修煉の心が堅くなり、大法弟子として立ち上がって大法を守るべきであると理解し、私達は毅然として法を実証し、真相を伝え、迫害に反対する決心をしました。テレビ局、省政府へ陳情に行き、また大勢の学習者が天安門に行きました。私も2000年12月に天安門広場に行き「横断幕を掲げ」、「真相を伝え」て、悪らつな警官に捕えられ、労働教養を科されました。法の勉強が少なく、よく修めなかったため、いつの間にか邪悪のいわゆる「三書」にサインしてしまいました。これは大法弟子の恥辱です。 2001年10月、家に戻り、学習者達が皆積極的に真相を伝え、反迫害に参加しているのを見て、学習者と夫(学習者)の助けのもとで、私は落胆することもなく、直ちに師父が説かれた「三つのこと」を始めました。学法、交流を通して、過去はただ事をする心だけで、真に法理に基づいて自分を向上させようとしていなかったと気づきました。私は大法のためにそんなに沢山のことをし、払ったものも他人に比べて少なくなく、よく修めたと思っていました。しかし、大法に照らしてみて、《明慧週刊》上で学習者と交流して、夢から覚めたように、確かに私の修煉はあまりにも良くなく、人心が重過ぎました。大法弟子がこの世に来て師父が法を正されるのを手伝い、衆生を救い済度し、自分をよく修めるという大きな願いを忘れていたのです。 ここ一年の修煉の中で、私に対する試練と邪魔は本当に一つまた一つと続いています。最初は息子が交通事故に遭い、当時、それは本当に心をえぐられるような悲痛な出来事でした。心を落ち着けて、私と夫は早速反迫害と真相を伝えることから始めました。このことが過ぎてまだ3カ月足らずのうちに、夫に突然、深刻な病状が表われました。学法が深くなく、執着心があまりにも重く、心性をよく守れなかったため、邪悪に隙につけ入られ、苦難に満ちた8日間を必死に頑張りましたが、ついに、この世を去りました。 私にとっては本当に泣き面にハチでした。私は強大な重圧を背負って、修煉を放棄するのか、それとも続けていくのか。娘と娘婿は外で働いているので、彼らと一緒に生活することになると、今の修煉環境を離れなければならなくなります。姑は孫を連れて実家にいました。私は家で一人で修煉をすることに決めました。私は学習者達と法を実証し、三つのことを引き続きしていました。夫が亡くなって数日後、私が朝静功をしている時、師父が私の天目を開いてくださり、私は自らが蓮の花に座って家に戻るのをしっかりと見ることができました。師父が弟子に情と悲しみを放下し、私が最後の修煉の道をしっかり歩くように、励ましてくださっていると分かっていました。 私は修煉の道を引き続き歩いていますが、大法の要求はあまりにも遠く、距離が離れ、時々頭の中で私欲と情が噴き出してきました。夫が亡くなって数カ月間、多くの友達が私に相手を紹介してくれると言いましたが、みんな婉曲に断りました。しかし、自分の情があまりに重く、ずっとそれに牽制されていました。自分は情に動じ、常人の生活を送ろうと思い、大法弟子が世の中に来た目的と意義を忘れてしまい、自分の思想がどんなに執着しているかを見ることができます。 今後の修煉の中で、私はできるだけ早くそれを取り除きます。この一文は、このような思いのある学習者の、今後の戒めになればと思い書きました。自分は学歴が低いため、適当でないところは、学習者の慈悲のご叱正をお願いします。 |