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黒龍江省:法輪功学習者・呉宝旺さんが迫害され死亡した実情の補充   

 【明慧ネット2006年6月7日】呉宝旺さんは黒龍江省双城市青嶺郷の農民で、普段は理髪業を営んで生活していた。呉さんは人が良く、正直で誠実で、生前は病気がなく健康だった。

 2002年4月19日夜半、悪党らは呉さんの自宅で『転法輪』を見つけたため、呉さんを双城市第二拘置所に不法監禁した。呉さんは監禁された当日、双城市臨江郷出身で、柱子という刑事犯の受刑者(30歳代)にいきなりビンタされた。呉さんはそれでもすべての受刑者に対して、法輪功の真相を伝え続け、多くの受刑者が感動し、一部の者は呉さんと煉功し法を学び始めた。

 2002年5月13日は「世界法輪大法の日」であり、お祝いをするために、呉さんは不法監禁されていた法輪功学習者たちと「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は正法である! 師父は潔白である! すべての法輪功学習者を解放せよ!」と高い声で叫んだため、第二拘置所の悪らつな警官らの迫害を受けた。警官は呉さんの両手を後ろ手に手錠で固定し、悪人・黄彦春は呉さんを激しく殴打した。呉さんはその後、水や食事を断ち、迫害に抗議した。

 呉さんは4日目の絶食の2002年5月17日に、警官は医学的知識のない受刑者4人、小光(ハルピン市出身)、胖子(双城市出身)、小威(双城市西郷鎮出身)、老王(双城郷鎮出身)などを唆し、呉さんに乱暴に灌食を行った。4人は呉さんをベッドに身動きができないように強く押さえつけ、鼻に強制的に管を差し込み、高濃度の塩水を流しながら、罵ったり、殴ったりした。一方、側にいた医師や悪党警官らはまるで劇でも見ているかのように、苦痛に耐えながらもがいている呉さんを無視していた。

 呉さんは拷問され、監房に戻されてから吐血し続け、30分後に意識不明になった。しかし、獄医はたいしたことではないとしたが、同室者の強い要求で、警官・李懐は灌食した4人の受刑者を率いて、呉さんを外へ運んだ。4人は運ぶ途中で鐘をつくように、頭をわざと壁にぶつけた。午後4時ころ、呉さんは再び戻されたが、意識不明のままだった。警官・李懐は、呉さんが意識不明のふりをしていると毒舌をたたいた。夜8時過ぎ、再び拘置所にいたすべての者の強い要求で、呉さんは双城市外科医院へ運ばれたが、当日の夜この世を去った。

 翌早朝、双城市第二拘置所の悪らつな警官は迫害に関与した馬成久、李光輝、甄国維、臨江郷出身で「柱子」という者ら4人に対して、呉さんは心臓病発作だったとウソの供述をさせた。          

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/7/129799.html