日本明慧


吉林省遼源市の張順龍さんが残酷な迫害を受け、死に至った経緯 

 【明慧ネット2006年6月14日】張順龍さんは生前吉林省遼源市東遼県遼河源鎮の宴平郷新城六隊の農民である。2006年5月26日朝、張順龍さんと妻の呂鳳玲さん、兄の張順明さん、学習者の?宝軍さん、妻の妹(修煉していない)、隣近所の杜さん(修煉していない)らは、遼源市東吉支局に人を連れ戻す途中、遼源市国保支隊(調査が必要)、東遼県の政保大隊、遼河源派出所の悪らつな警官にハイジャックされた。

 彼らが新城七隊の大橋に着いた時に、向こうから来る2台の警察のパトカーに止められた。パトカーから20人ほど下りてきて、彼らは市政府を包囲攻撃すると言ってパトカーに乗せた。張順龍さん、?宝軍さんなどは彼らに協力せず、「私達はあなた達と行かない、私達は弟を見にいくから、何かあったら村民委員会で話そう」と言った。

 遼河源派出所の所長張伝宏は張順龍さんの髪毛を捉えて数人の悪らつな警官と猛烈に打ち、そして張順龍さんの頭を引っ張って橋の柱にぶつかった。張順龍さんは打たれて顔と頭が血まみれになり、悪質な警官は彼を無理やりパトカーに押し入れたが、張順龍さんは依然として協力せず、足を車外に伸ばした。悪質な警官は足を折りたたこうと石を探したがなかったので、車のドアで気違いのように張順龍さんの足を押しはさみ、足はその場ではさまれて折られ、張順龍さんは車に押し込まれてから、頭を二つの座席のすきまに押しこんで動かせないようにし、血と汗は顔に沿って下へぽたぽたと滴り落ち、悲惨で見ていられなかった。呂鳳玲さんは悪らつな警官達に打たれて、鼻柱が打たれて折られた。 

 そばで囲んで見ていた村民は「張二(張順龍さんの幼名)、彼らと行けよ、彼らに君をこのように殴らせないで、彼らは残忍すぎる」と叫んだ。

 張順龍さん達は遼河源の派出所に連れて行かれ、張順龍さんは三階に拘禁された。数十人の悪らつな警官の取り調べと殴打を受け、10時頃に張順龍さんは3階が落された。悪らつな警官は「張順龍さんは飛び降り自殺し、2人は引き止められなかった」と言った。考えてみると、張順龍さんは手錠をつけられ、足が折られ、十数人が彼を見張っていて、また三階の窓はとても狭いのに、彼はどうやって跳べたのか? 人に投げられたとはっきりしているのに、悪らつな警官は彼が生きる気がなく飛び降り自殺したと偽って責任から逃れようとした。 

 張順龍さんは迫害を受けるとき、ずっと悪人に妥協せず、取調べの記録には一文字もなかった。
それから悪らつな警官は偽善的に「人道主義から」張順龍さんを遼源市第2病院に運んだ。病院で悪らつな警官は、まだ悲痛で苦しんでいる呂鳳玲さんにお金をゆすり、お金がないと言ったら、彼女にバイクを売るように強いたが、また拒絶された。病院は張順龍さんにただ酸素と血漿だけを点滴しており、その他の緊急措置法を実施していなかった。 

 張順龍さんが亡くなる前に、呂鳳玲さんは彼と一言も話ができず、呼吸するのが難しそうな彼を見て、とても苦痛に、ただ彼の頭を触った。張順龍さんはまだ体温がある情況下で解剖されており、28日に家族の同意なしで強行に火葬された。そして呂鳳玲さんは「これらの事を外に言うことを許さない、もし言いふらしたら、あなたとあなたの家族全員に労働教養をさせるぞ」と脅した。呂鳳玲さんは家の2人の幼い子供のためにしかたなく承諾した。

 現在、張家には70〜80歳の母、呂鳳玲さんと2人の幼い子供がいて、生活はとても苦難に満ちており、畑を管理する人はおらず、生計の道がなくなっている。現在、張順明さん、?宝軍さんは依然として不法に拘禁されている。 

 これは江羅集団と追随者らが借りたもう一つの血の債務である。善良な人たちが関心と援助の手を伸ばし、正義を広めて、張家のために公平を求めることを期待している。

張順龍さんの迫害に直接参与し、死亡させた部門は以下。
遼源市国保支隊と参与者(調査が必要) 
東遼県政保大隊と参与者:李晶(大隊長)、宋×
遼河源鎮派出所:事務室の電話:0437?5184110
所長:張伝宏:電話:13504370388
副所長:劉世祥:電話:13943748488
(他の参与者は調査が必要) 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/6/14/130355.html