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黒龍江省:鄧偉男さんが不法な迫害により死亡した経過 

 【明慧ネット2006年6月15日】黒龍江省巴彦県臨城郷五星村前長林子屯の法輪功学習者・鄧偉男さん(原名:鄧偉国)は、ハルピン市公安局の道里公安分局の悪党警察の不法な迫害により2001年8月に死亡した。

 2001年7月31日の夜8時ごろ、鄧さんは、ハルピン市および巴彦県の悪党警察により、借りていたハルピン市南崗区元和街から不法に道里公安分局の12階にある法輪功洗脳班に連行され、翌日の8月1日の朝、鄧さんは不法な迫害により死亡した。悪党警察は、鄧さんがビルから落ちて自殺したというが、鄧さんの家族が彼の遺体を詳細に見ることは許可しなかった。悪党警察は、強制的に鄧さんの遺体をすぐ火葬したので、鄧さんの臓器などが取られたかどうかは、不明である。鄧さんは26歳でこの世を去り、未婚であった。

 鄧さんは、小さいころから身体が弱く、色々な病気で苦しんでいた。以前、鄧さんは肺膿腫敗血病にかかったことがある。しかし、1995年、法輪大法を修煉してから、鄧さんの肺膿腫敗血病の症状は再発したことがなかったので、彼はずっとハルピン市でアルバイトをしていた。1999年7月20日、中国共産悪党が法輪大法を不法に弾圧してから、鄧さんは数回も当局に不法に連行されて監禁されたばかりでなく、お金も搾取された。

 1999年10月、鄧さんはハルピン市の同修と一緒に上京したが、ホテルで北京大蘭派出所の悪党警察に連行された。そこで、黒龍江省巴彦県臨城郷派出所の所長・張雪東は、鄧さんを地元に連れて来る旅費として、鄧さんが所在している村政府に5500元を要求した。彼は、このお金で行く時は、飛行機に乗り、戻る時は電車に乗った。その後、鄧さんが不法に巴彦県看守所に監禁されている期間中、張雪東は大勢の悪党警察を連れて、鄧さんの家に行き、どんな証拠もないのに、3000元も鄧さんの家族に要求した。

 2000年の夏、鄧さんがハルピンから家に戻る五星村の道で、臨城郷派出所の悪党警察・邢三(具体的な名前は、不明)により、巴彦県看守所に連行され、不法に2カ月半も監禁された。その後、これらの悪党警察は、いつも鄧さんの家に行って日常生活を妨害したので、鄧さんの両親は長期間恐怖の中で生活しなければならなかった。

 2000年7月20日の前、鄧さんは再び不法に連行された。そこで、貧乏と病気で苦しんでいた鄧さんの両親は、息子が不法に判決を受けることを恐れて、自分達が節約して儲けた1000元を、公安局の法輪功を迫害することを主な仕事としている悪人・于洪涛に渡した。当時、鄧さんは3カ月以上も不法に監禁されていた。

 2001年7月31日、鄧さんが、南崗区の他の2人の同修が借りている所へ行った時、数10人の悪党警察が侵入して、鄧さんと他の2人の同修を不法に連行して、道里公安局に監禁した。その後、翌日の朝、悪党警察は、鄧さんがビルから落ちて自殺したと言った。

 2001年8月3日、臨城郷派出所の所長・張雪東は、車で鄧さんの家に来て、鄧さんが父親と兄に会いたいと言っていると、巴彦県公安分局の唐局長と呉**は、鄧さんの家族を道里分局に連れて行き、鄧さんが既にビルから落ちて自殺したと言った。そこで、鄧さんの家族は、彼の遺体を見たいと強烈に要求したが、悪党警察はずっと許可しかなかった。午後、悪党警察・張樹森が、鄧さんの家族をハルピン市顧郷の鴨子圏看守所へ連れて行って、一目見て、遺体を確認させた。係員が、ある大きい引き出しを引っ張ると、鄧さんの遺体が現れた。鄧さんの遺体の頭部には黒いビニール袋を被らせていて、そのビニール袋を開けると、鄧さんであることは確認されたが、鄧さんの遺体には、どんな傷も無くて、只、後脳勺骨がばらばらになっていた。鄧さんが身につけていた服は傍にあったが、悪党警察は見ることを許可しなかった。そこで、鄧さんの家族は、「もし、鄧偉男が12階のビルから落ちたとしたら、只、後脳勺骨だけがばらばらになるはずがない・・・・」と言ったが、その時、悪党警察達は、鄧さんの家族に話す機会も与えず、すぐ巴彦県の家へ戻した。

 8月6日、鄧さんの家族は、悪党警察がこっそり家の庭に捨てた一枚の鄧さんを火葬するという通知書を拾った。8月7日、巴彦県の悪党警察は、鄧さんを解剖と火葬する場所へ、家族を連れて行った。その場所は、大勢の警察が厳密に守っていたが、大勢の警察と法医は、「鄧さんの解剖を行った結果、遺体には、数カ所の傷があるだけだ」と言いながら、鄧さんの家族が近づいて見ることは許可せず、悪党警察は、鄧さんの家族に泣くことすら許可しなかった。

 また、鄧さんの家族に、態度が良ければ、葬儀費用を出すが,もし、そうでなければ、出さないと言った。結局、悪人達は、5000元を県公安局にくれたそうだが、法律を知らない鄧さんの家族は、そのお金を受け取らなかったそうである。鄧さんに対して解剖を行った後、悪人達は鄧さんの遺体を大きいビニール袋で被って、車の上に置き、その後、すぐその場を去った。そこで、鄧さんの母親は、悲しくて意識不明になったが、救急対応をして意識が戻ったときには、息子の遺体はもう既に火葬場に去った後だった。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/6/15/130500.html