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6年の刑を言い渡され、楊建坡さんは病室から看守所に連行された(写真) 

 【明慧ネット2006年5月3日】河北省廊坊の大法弟子楊建坡さんが2006年4月25日に広陽区人民医院で6年の禁固刑を言い渡され、法廷も開かれず、家族にも通告しないで、不法人員が病床の前でいわゆる判決を宣告した。4月30日、危篤状態の楊さんを廊坊市看守所に連行し、不法人員は彼を監獄にいれるつもりのようだった。

 29日朝、楊さんの家族が病院に行った時、楊さんは家族に上述のことを伝え、さらに曹宝玉さんが5年の禁固を言い渡されたとも伝えた。しかもなんの手続きもなしだ。30日朝、楊さんの家族が病院に電話して楊さんの状態を確認したとき、「29日に病院を離れた」と看護婦がいった。しかも看護婦もその行方がわからないという。家族がその後広陽区610オフィスに電話で尋問したが、610オフィスの劉主任が回答を拒否した。

 その後、看護婦が市政府に聞いてみたが、市政府は受付なかった。さらに上申弁公室を訪ねると、スタッフに楊さんといっしょに捕まえられた曹宝玉が迫害され死亡していた。楊さんも非常にやせており、家族の生活が非常に苦しいことを告げた。しかし、スタッフは事実を聞かないし、さらに法輪功については受け付けないといった。また「防犯弁公室」に行けと言った。彼はさらに脅かす口調で言った「どこに事実を述べても捕まるだけだ、もし今帰らなければ、つかまえられるぞ。」(この人、男性、40才前後、はげ)

 楊さんと妻の聶春玲さんが数年来いろんな迫害をうけた。2003年3月30日唐山市公安局に連行され、悪徳警官に鉄いすにロックされ、手動電話機(直流110ボルト)に繰り返し電撃され、昼夜目を閉じられなかった。いまでも胸が苦しく当時の酷刑の烙印が残っていた。三日後に、楊さんが豊潤区看守所に監禁され、警察に服を脱がされ、地面に押し付けられ殴られた。当時聶春玲さんも唐山市第一看守所に連行され、警察が彼女を鉄のいすにロックして、強制的に食事を注入し、鼻からチューブを食道に差込、血が胃にそのまま流れ込んだ、胃が大出血して口から多くの血が吹き出た、市公安局の警官が靴で聶春玲さんの親指を踏んで骨折させた。

 2004年2月20日、楊さんが廊坊市広陽公安局に不法家宅侵入された。その後廊坊看守所に監禁され、さらに2004年2月25日唐山開平労働教養所に連行された。当時労働教養所がうけいれを拒否したが、広陽公安局が賄賂で強制的に楊さんをいれた。楊さんがずっと断食で迫害を抗議していて、元は90キロの体重が50キロが減って、6月8日家に戻ったときわずか40キロしかなかった。

楊さんが開平労働教養所に迫害され、体重が50キロも減った

 2006年陰暦新年のとき、楊さん、曹さんなどが政府官僚に真相を説明するときに連行され、危篤まで迫害され、廊坊市医院と中医院が危篤通知を出した。廊坊看守所も釈放通知を出した。しかし広陽区610オフィスが通知書を止め、二人をさらに広陽区人民医院に移らせさらに迫害を加えた。同時に看病しにいく家族に事実を隠蔽し、色々な手段で邪魔し、脅迫した。4月27日夜、56歳の大法弟子曹宝玉が迫害により広陽区人民医院で死亡した。楊さんは危篤状態で、廊坊市看守所に連行された。

 このニュースをみた国際人権組織および正義人士に関心を寄せ、大法弟子が楊さんを正念で加持し、楊さんが早く自由の身になるようお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/5/3/126757.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/5/18/73422.html